新・駅長日誌

内容は下らないですが、
とにかく毎日更新します。

旧逢坂山隧道 ⑤

2018/01/07(Sun)

葬式が終わって面倒な事の1つに「供物の盛り篭の分配」ってのがある
と思うのですが…今は最初の仕分け斎場の係の方がやってくれます。

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何が面倒って「大量に余る」という事です。例によって私も持って帰る
羽目
なり、開封してみると右のような状況でしたクラ駅長です。

恐らくは賞味期限の長そう乾物類が選ばれてると思うのですが、単品
で使う
には微妙なモノばかりですよね。最初は弔電を頂いたヨシヨシ会
皆さんに配ろうかと思いましたが、みんな自炊するイメージナイ方
たちですので、ソレは改めて考えるとして…

コーヒーや紅茶類播磨下里駅に寄付します。で、残ったモノは普通に
私が日々消費するんですが、なかなか大変そうなラインナップだな。
…例えばがメインの料理」って何かあるかしら?

さて旧逢坂山隧道ですが、国道1号線から旧道らしき脇道に入りました。

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…この時点で夕方5時前後
冬場の事であり、逢坂山東山挟まれた場所なので、日暮れは早い
ですね。カメラの露出補正何とか明るく見えてるだけの感じです。

やはり昔の街道なのか、元は旅館っぽい構えの料理屋さんが何軒か
並んでます。…うなぎ屋さんか。美味そうだけど高いだろうなと予測。

右の画像の山裾にある石碑の部分が、旧逢坂山トンネルの西口
当たるようですが…よく分からん?

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はい、こちら側にはトンネルそのものの遺構はなく石碑だけが建て
られてる状況でした。…何故か「とんねる」が平仮名です。
ではトンネルそのものドコへ行ったのか?と言いますと…

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1963年昭和38年名神高速道路が開通した際に、高速道路用にも
逢坂山トンネルを掘ったので、西口はソノ時に埋まってしまったそうな。

ココは府県境を越えて京都府に入ってる筈ですが、高速道路のスパン
から言うと、そろそろ大津案内を出す地点なのでしょう。出口とPA
看板が
目立ちますね。

…実際の所、奈良から滋賀方面へ行くには宇治付近から京滋バイパス
に乗るか、一般道を和束~信楽と抜ける事が多く、私はココは殆ど利用
した事がナイのですが。

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そんな感じで、そろそろ日照時間の限界が来た所で、上手く終わる事
出来ましたので、すぐ近くにある京津線大谷駅から電車に乗って、
帰る事にしましょう。

…昔からソノ存在は知ってたものの、訪れる機会のなかった旧逢坂山
隧道でしたが、東口だけではあるけど鉄道記念物として保存されてる
というのは素晴らしい事だと思います。明治の鉄道技師たち遺徳が
偲ばれる物件ですね。あー、タイムマシンが欲しいわ。

では続けて、また思い出した故郷の廃線跡である信貴山の山上線
東側のケーブル線を探りに行ってみる事にしましょう。



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No.3969 鉄道保存施設を探る

旧逢坂山隧道 ④

2018/01/06(Sat)

葬式の喪主というのは、殆ど「イベントを仕切る仕事」だという事を
理解しましたクラ駅長です。

元々が飲食店勤務なので、必要人数を数えて料理を発注する…とか
言う類の仕事には慣れております

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なのに精進落とし料理が余るってどぅいう事よ?
ソレほど近くない親戚の人が、遠慮したのか用事があったのか、早々に
帰ったからなのですが…完璧を期したい私としては些か不満です。

余った料理誰も手を付けなかったので、持って帰りました
そしてまた内容を仕分けして、早く傷みそうなヤツから順に酒のアテ
します。御飯部分は電子レンジで温め、カレー用に使ったな。

さて逢坂山越えですが、トンネルそのもの歩く事が出来ないので、
国道1号線迂回して西側へと回ります。

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鉄道のソレとは関係なく古代からココは京の都へ入る手前の位置として
関所が設けられた所でした。

現在の地名で言う「逢坂1丁目」の交差点は、東海道である国道1号線と、
湖西を通って若狭方面へ抜ける国道161号線分岐点に当たります。

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並行して走る京津線と、マトメてオーバークロスする大きなアーチ橋
名神高速道路。まぁ現代ではコレが一番の輸送量なのかも知れません。

そして京津線にも逢坂山トンネルがありますが、ソノ付近はカーブ半径
カナリ小さいんですね。

…車両が16m級の小型車ですが、外側のレール車体の真ん中付近
まで
ズレると言うか模型ならイザ知らず、実物の鉄道でこんな光景は
初めて見たかも知れませんよ。

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相変わらず京津線40‰で峠を越えます。道路逢坂山の関所跡
という付近に、石碑と案内看板がありました。

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…やはり本格的に機能していたのは平安時代ごろまでですか。
時代劇のメインとなる江戸時代では、やはり箱根の関所の方が重要
だったのは間違いナイでしょうか。

関所の建物を模して造られた小屋っぽいモノは、公衆トイレです。
寒い中をココまで歩いてきたので有り難く使わせて頂きましたよ。

ココから道は下り坂になります。国道から反れて、旧街道っぽい狭い道
へと進んで行きました。



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No.3968 鉄道保存施設を探る

旧逢坂山隧道 ③

2018/01/05(Fri)

天理軽便鉄道おまけネタが1つ残っておりました。廃線跡巡りの半ば
で立ち寄った安堵町歴史民俗資料館の光景なのですが。

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当日はどうやら小規模なイベントが行われてたようで、施設前の駐車場
ブルーシートが敷かれ、色々な道具が並んでおりました。

看板にある「稲こき」というのは、脱穀作業の事です。
だから置いてあるのは全てお米を収穫した後に、脱穀籾摺り選別など
を行う農機具ですね。現在のように機械化される…恐らくは江戸時代
~昭和初期
に使われてたモノだと思われます。

…流石にリアルタイムな世代ではナイものの、大抵の事は分かるクラ駅長
です。実家の倉に一式あったしな。

さて旧逢坂山隧道ですが、大津駅から国道1号線を歩いて、ようやくソノ
東口に到着しました。

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明治建築ならではの、どっしりしたレンガ積みトンネルポータルが鎮座
してます。…最近になって整備されたであろう案内看板がありますね。

歴史的な価値としては「初めて日本人技師だけの手で彫られた鉄道の
トンネル」という事になるそうな。

土木技術に限らず、明治の近代化は何でも「お雇い外国人」から学んだ
モノですが、彼等とて一気に知識を教えてしまうと自分たちの存在意義
を失ってしまうので、総じて「出し惜しみ」な風潮だったようですね。

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上部の詞書きは、明治の元勲の一人であった三条実美の筆によるモノ。

何かが完成する事を言う「落成」の代わりに「楽成」という造語を当て
てあるそうな。トンネルに「落」だと「落盤」を連想して縁起が悪いです
からね。…と、看板に書いてある事の丸写しです。

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トンネル内部は、数メートル先まで入れるようになってますが、ソノ先は
施錠されたドアがありました。

現在の逢坂山トンネルが造られた後、太平洋戦争中には航空機の
部品工場になりましたが、現在は京都大学地震計を設置した観測
施設
になってるそうな。

向かって右側にあるのが、後の複線化追加された方のトンネルです。
用途はよく分からんのですが、ドアの感じがソノ荒れ方も加味されて
潰れたスナックみたいな印象だよな。

ホントにスナックだったら笑えますね紫地に黄色い字とかの看板
スナック隧道」とか、ありそうで怖い。

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狭い台地みたいになってるトンネル東口の
土地から、さっき歩いてきた東側を見て
みますと、植え込みなどの向こうに辛うじて
旧東海道本線の橋台跡が見えますね。

京阪京津線と、昔からの街道オーバー
クロスした東海道本線の線路が、ココに
通じていた事が明白な位置関係だと見て
取れます。

大津駅はもう少し坂の下にある感じなので
短距離の間に高度を稼ぐ急勾配約25‰
の登り坂だったようですね。

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そんな感じで旧逢坂山トンネル東口
見学を終えました

トンネル内部は地震観測施設になってるし、
先に言っちゃうと西口名神高速道路を建設
した時に埋まってしまったので通り抜けは
出来ません


猫ヨシヨシからの寄り道なので、夕方で
段々と周囲も暗くなってきたのですが、国道
1号線
を迂回して西口の方へも回ってみる
事にします。



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No.3967 鉄道保存施設を探る