新・駅長日誌

このブログは画像容量が限界に
達したため、更新を停止致しました。

大久野島の近代遺跡 ③

2018/08/27(Mon)

昨日は恒例播磨下里お絵描き会に参加してきましたクラ駅長です。

20180827i.JPG 20180827j.JPG

…前回が2週間前だった事を考えると、めっきり涼しくなった印象ですね。
そして今回は、18きっぷシーズン中であるのと車の回送やってるヒマ
がナイ
ので珍しく鉄道移動です。

どう頑張っても10時過ぎにしか着かないのが勿体無いのですが。

さて大久野島です。島内に散在する戦争中毒ガス工場の遺跡を色々
と見て、ビジターセンター近くの毒ガス資料館へやってきました。
…ソレにしてもエラい名前が付いてますが、こう表現するしかナイわな。

20180827a.JPG 20180827b.JPG

館内が撮影禁止だったので、屋外に置いてあるモノだけですが、製造
過程で使うプラントの一部でしょうか?陶製の部品が幾つかあります。

…こういうのは流石に、軍人研究職の人ではなく陶器屋さんが作る
んでしょうが「毒ガス用」である事は知らされていたのか?

なお資料によると、大久野島で作られていた毒ガス以下の通りです。
(※色は陸軍種類を識別するために付けられていたもの。)

ちや(茶)血液剤シアン化水素 …血液中の細胞に入り死ぬ
みどり(緑)催涙剤…クロロアセトフェノン…目や喉を刺激・非致死
きい(黄)びらん剤…イペリット・ルイサイト …皮膚がただれる
あか(赤)嘔吐剤…ジフェニルシアノアルシン …クシャミ嘔吐

…そう言われても理系知識ほぼ皆無の私には何の事やら?

恐らく当時は従業員周辺環境配慮する発想なんて全くナイだろう
から、やはり工員戦後の後始末に携わった人の中には毒物による
被害者が出ているそうです。

資料館の展示は、そうした被害繰り返して欲しくない。…という点を
重視した内容だったように思います。

20180827c.JPG 20180827d.JPG

遺跡としての最後は、船着場の近くにある発電所跡を見に行きました。

コレまた立派な建物が残ってるもんですが、説明書きによるとココでは
風船爆弾も作ってたらしいですよ。

女子高生和紙こんにゃく糊貼り付けてた
いかにも戦争末期のヤケクソな作戦にしか思えないんですが、当時は
真剣にやってたんでしょうね。まぁ負けて良かったのかも知れん。

20180827e.JPG 20180827g.JPG

帰りの船まで時間が余ったので、再び国民休暇村へ戻ってカフェで
おやつ休憩にしましょう。色々見てカナリ歩いたので腹が減ったわ
うさぎデザインのロゴが微妙にスターバックスもどきです。

メニューにある竹原のご当地バーガーを食べたかったのですが…

20180827h.JPG 20180827f.JPG

土日限定当日はお休み!
…仕方ナイので、またたこにしておきます。たこ唐揚げ入りのカレー
居酒屋でよく出てくる冷凍のアレのようですが、贅沢は言いませんよ。

という事で思わぬ豪雨被害三原市から始まり、うさヨシヨシ毒ガス
工場の歴史
を学べる大久野島の旅の報告ココまでとなります。

色々と不便な部分もありましたが、内容が濃く得るものが多かった
2日間でした。…お蔭さまでブログの記事もココまで引っ張れましたし。

…では明日からまた暫く、播磨下里駅ノートの記事が続きますが、
よろしくお付き合い下さい



※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。

No.4201 駅長が見た風景