新・駅長日誌

このブログは画像容量が限界に
達したため、更新を停止致しました。

東信貴鋼索線 ⑥

2018/01/21(Sun)

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このブログをアップすると、連動してるTwitter
にも報告が上がるようになってるのですが、
Twitterってのは記述の全部が漢字だと
「中国語だ」と認識する仕組みなんでしょうか?

…そして翻訳ソフト勝手に仕事をするものの
結局は訳せるワケがないので「Could not
translaet…」とか言ってくるワケでして…

カラオケとかでよくある「知らんのやったら
歌うなー!」と似たようなもんだと思いました
クラ駅長です。

さて東信貴鋼索線ですが、山頂駅舎跡から歩く事30分で、ケーブルカー
始発駅だった信貴山下駅に到着しました。

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本体は生駒王寺を結ぶ近鉄生駒線の駅です。昔はホントにローカル線
でしか無かったのに、沿線の宅地開発が進んで、「どっちへ出ても大阪
行き易い
」感じの通勤路線に変わってしまいましたね。…しかし一部区間
単線のままです。

周辺は信貴ケ丘という住宅地になってます。…地図で見ると平面ですが
実際はカナリの凹凸と高低差がある土地ですよ。

そして地図の一番左端の道路が、ケーブルカー廃線跡に当たります。

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帰りの電車待ち方々、駅に入って色々と観察してみる事にします。

…読みは「しぎさんした」微かな記憶では、ケーブルカーは鉄道線
対して垂直
に配置されてましたので、点字ブロックがある位置の延長上
ホームがあった感じになりますか。

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ケーブルカーは無くなっても、奈良県
から信貴山への登山口である事に
変りはナイので「ようこそ信貴山へ」
の文字があります。

…本数は少ないですがバスがあるのと、
バス道路ハイキングコースを足して
直線距離
にすれば2km程度なので、
最初から歩く気なら充分に歩ける感じ
でしょうか?

…そして常駐はありませんが、呼べばタクシーも来る環境でしょう。

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やはりココにもモニュメント的に、ケーブルカーの車輪と制御器などが
残されています。

…開通は1922年日本で3番目に古いケーブルカーだったようですね。
つまりは大阪側西信貴鋼索線より古いって事で、最初は信貴山への
参詣客「こっち回り」で行ってたという事なんですね。

そしてカナリ色褪せてるものの、当時の写真が残ってました。…モール
などで飾られてるので「さよなら運転」の時だと思われます。

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ケーブルカーってのは、山をかき分けるように登っていく路線が多い
のですが、この写真は平行する道路から撮ってますよね。

改めて、下って来た廃線跡の道路を見直してみるに、2車線の広いやつ
の隣に、生垣で仕切った狭い道路が平行しています。…コレが元々の
住宅地の端っこだったワケだな。

ぃゃ、遠足で乗った時は1両に1学年全部…120人ぐらいで乗ったから
通勤電車並みの混み方で、外なんか見えなかったんです。

そんな感じで、子供の頃に乗った辛うじての記憶があり路線、尚且つ
普段は断片的に近くを通るだけで、総合的に意識した事のなかった
東信貴
鋼索線ですが、色々と再確認出来て面白い旅でした。

…あー、そろそろもっと遠くへ行きたいな。



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No.3983 鉄道廃線跡を探る