新・駅長日誌

このブログは画像容量が限界に
達したため、更新を停止致しました。

竹中大工道具館

2018/10/16(Tue)

…今回は非鉄道な隙間ネタなのですが、先日の南紀方面北神急行
のツアーの最後に、新神戸駅近くの「竹中大工道具館」というのを見に
行きましたクラ駅長です。

20181016a.JPG 20181016b.JPG

北神急行谷上へは、三宮から乗り換えて事になる行くので通り道
帰りに寄ればイイかなと言う事で行路を組みました。

日程の都合で、何か1つ挟む方が収まりがイイので先にやります

要するに「大工道具の歴史」をメインに紹介してる所なのですが、奈良
の寺院建築
工法やら、現代にソレの復元工事をした時の話なども
紹介されてるらしく「面白いよ」会社の先輩から勧められたんですよ。

20181016c.JPG
新神戸駅
から歩いてすぐの所でした。
施設名にある「竹中」は、建設会社
竹中工務店の事です。

大きな会社のようですから、コノ
ように資料や展示品を集めて文化的
な施設
作る余裕もあるんでしょう。

建物もソレらしい雰囲気の和風意匠
な外観
ですね。

20181016d.JPG
日本の大工道具や建築方法
の発展に関して
広く紹介されており、木を使って簡単な工作
が出来る体験コーナーもあるようですが、
やはり奈良のソレに関する所を中心に見て
行く事にします。

今更ですが奈良には、1000年以上建ってる
建造物…主に寺の塔や仏堂が沢山あります。

最初は勿論、簡素な工具で手作業による
建築だったワケですが、国宝級の建物
300年に1回ぐらい、解体修理をやります。
造るのも直すのも、技術は発展しますよね。

20181016e.JPG 20181016f.JPG

重機電動工具ナイ時代は、主にこんな感じの大工道具が使われ
てたワケですが、意外と…ってば失礼ですが正確な作業が出来る。

職人さん大工道具作りの人も)の努力と研鑽があったんでしょう。

右は手斧(ちょうな)というモノですが、板の表面を削る…今のカンナ
に相当する工具です。カナリ形状が違うのが面白い所かと。

20181016g.JPG 20181016h.JPG

昭和以降奈良で行われた大規模な文化財の解体修理と言えば
唐招提寺金堂でしょう。あと修理じゃないけど薬師寺金堂と西塔
の再建工事などもあるかな。

奈良には寺院や神社の建築を専門に扱う「宮大工」という職業の人
が今でも多数います。…解体修理では全体の造りはそのままですが、
傷んだ部材取り換えるので、右がソノ見本のだと思われます。

…余談ですが再建工事となると、などに大きな木が必要なのは
当たり前なものの、もう国内では入手出来ず、昭和51年の薬師寺
では台湾のヒノキが使われ、今年の興福寺中金堂ではアフリカの
カメルーン
から木を輸入したそうな。

20181016i.JPG 20181016j.JPG

最後にソノ、唐招提寺金堂組み物実物大模型がありました。
資料館の建物が吹き抜けになってるので、上の部分も近くで見れます。

現代鉄筋コンクリートで造った建物が、1000年先残ってる
と言う保証はドコにもナイのですが、木造建築実際に1000年もつ
だから再建工事なども出来るだけ昔のやり方で行うのだと聞きました。

素材のハナシだけでなく、コノような工法も含めての話なんでしょう。

ちなみに私が気になるのは、重機が無かった時代クレーン技術
言うかあんな重い木材を、ドノようにして人力で持ち上げてたのか?
なんですがね。…ドコかの重機メーカー同じような展示はナイかな。

そんな感じで、何となくソレなりの長さの記事になりましたね。
次回は先日の北条鉄道まつり。…播磨下里駅の様子をお伝え致します。



※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。

No.4251 駅長が見た風景

大久野島の近代遺跡 ③

2018/08/27(Mon)

昨日は恒例播磨下里お絵描き会に参加してきましたクラ駅長です。

20180827i.JPG 20180827j.JPG

…前回が2週間前だった事を考えると、めっきり涼しくなった印象ですね。
そして今回は、18きっぷシーズン中であるのと車の回送やってるヒマ
がナイ
ので珍しく鉄道移動です。

どう頑張っても10時過ぎにしか着かないのが勿体無いのですが。

さて大久野島です。島内に散在する戦争中毒ガス工場の遺跡を色々
と見て、ビジターセンター近くの毒ガス資料館へやってきました。
…ソレにしてもエラい名前が付いてますが、こう表現するしかナイわな。

20180827a.JPG 20180827b.JPG

館内が撮影禁止だったので、屋外に置いてあるモノだけですが、製造
過程で使うプラントの一部でしょうか?陶製の部品が幾つかあります。

…こういうのは流石に、軍人研究職の人ではなく陶器屋さんが作る
んでしょうが「毒ガス用」である事は知らされていたのか?

なお資料によると、大久野島で作られていた毒ガス以下の通りです。
(※色は陸軍種類を識別するために付けられていたもの。)

ちや(茶)血液剤シアン化水素 …血液中の細胞に入り死ぬ
みどり(緑)催涙剤…クロロアセトフェノン…目や喉を刺激・非致死
きい(黄)びらん剤…イペリット・ルイサイト …皮膚がただれる
あか(赤)嘔吐剤…ジフェニルシアノアルシン …クシャミ嘔吐

…そう言われても理系知識ほぼ皆無の私には何の事やら?

恐らく当時は従業員周辺環境配慮する発想なんて全くナイだろう
から、やはり工員戦後の後始末に携わった人の中には毒物による
被害者が出ているそうです。

資料館の展示は、そうした被害繰り返して欲しくない。…という点を
重視した内容だったように思います。

20180827c.JPG 20180827d.JPG

遺跡としての最後は、船着場の近くにある発電所跡を見に行きました。

コレまた立派な建物が残ってるもんですが、説明書きによるとココでは
風船爆弾も作ってたらしいですよ。

女子高生和紙こんにゃく糊貼り付けてた
いかにも戦争末期のヤケクソな作戦にしか思えないんですが、当時は
真剣にやってたんでしょうね。まぁ負けて良かったのかも知れん。

20180827e.JPG 20180827g.JPG

帰りの船まで時間が余ったので、再び国民休暇村へ戻ってカフェで
おやつ休憩にしましょう。色々見てカナリ歩いたので腹が減ったわ
うさぎデザインのロゴが微妙にスターバックスもどきです。

メニューにある竹原のご当地バーガーを食べたかったのですが…

20180827h.JPG 20180827f.JPG

土日限定当日はお休み!
…仕方ナイので、またたこにしておきます。たこ唐揚げ入りのカレー
居酒屋でよく出てくる冷凍のアレのようですが、贅沢は言いませんよ。

という事で思わぬ豪雨被害三原市から始まり、うさヨシヨシ毒ガス
工場の歴史
を学べる大久野島の旅の報告ココまでとなります。

色々と不便な部分もありましたが、内容が濃く得るものが多かった
2日間でした。…お蔭さまでブログの記事もココまで引っ張れましたし。

…では明日からまた暫く、播磨下里駅ノートの記事が続きますが、
よろしくお付き合い下さい



※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。

No.4201 駅長が見た風景

大久野島の近代遺跡 ②

2018/08/26(Sun)

最近と違って、夏休みってのがきっかり8月31日までじゃなく
明日ぐらいからそろそろ2学期が始まるケースも増えていると聞いた
事がありますクラ駅長です。

今年の夏は、花火に関しては1回だけ見れましたね。
ビール列車の日の帰り、加西市のサイサイ祭りというのをやってたん
ですが、ソレに花火大会も付随してるんですよ。

20180826a.JPG 20180826b.JPG

下に写り込んでしまった建物は、加西市の高台にある市民病院です。
…もしかしたらココに入院してる人一番よく見れるのかも知れません。

さて大久野島です。引き続き、終戦まで存在した毒ガス工場跡地の
遺跡を見学して行きますが、ココで基本的な疑問です。

毒ガスってのは当然、ピンポイントな攻撃には向かないワケで、敵軍
とは関係ナイ所
とか下手すると味方にまで被害が出るんじゃないの?

人道的にどうという前に、ホントに戦争に向いてるのか?
戦後世代の私としてはソノ辺が謎ではありますが、どうなんでしょ。

20180826d.JPG 20180826c.JPG

ココも毒ガスの貯蔵庫だった施設のようです。…このレベルのコンク
リート製の廃
墟を見ると「戦隊ヒーローものの戦闘シーン」を想像して
しまうのが戦後世代「あるある」じゃないですか?…ぇ、私だけ?

初代「仮面ライダー」悪の組織だったショッカーは、世界レベルの
規模な筈が神奈川県猿島(横須賀沖)結成式が行われてます。
…意外と「最初はそんなもん」だったのかも知れませんが。

20180826e.JPG 20180826f.JPG

これは別の貯蔵庫ですが、現在は半分程度土砂に埋もれています

尚、毒ガス施設関連遺跡は、当然に立ち入りが禁止されており、
全て「ココまでならOK」という柵の外から撮ってるのですが、その
理由が崩落の危険とかでなく「今でも毒性が強いから」だそうな。

…先述した通り、井戸を掘っても飲料用に使えないと言うのも道理
かも知れませんね。また法的には無人島だから、水道管を引くという
義務もナイ飲料水タンクローリーで運んでる)のかも知れません。

20180826h.JPG20180826g.JPG


そんな汚染された土壌なのに、紫陽花キレイに咲いてました

島の中央部の高台には明治時代「芸予要塞」の頃の砲台跡があり、
コレも戦争末期毒ガスの貯蔵庫になってたらしいのですが、一帯の
エリアは先日の豪雨により立入禁止とされていました。

Wikipediaに書いてあったのですが、愛媛県の松山市空襲に遭った
時、敵の偵察機大久野島の上空にも飛んできたらしいんですよ。

…しかし「ココから大砲を撃つ島の存在がバレる」という事で何も
出来なかったそうな。何だか色々と本末転倒な気がするのは私だけ?

20180826i.JPG 20180826j.JPG

という事で、出来る範囲で島をひと回りして、ビジターセンター近く
にある毒ガス資料館へとやってきました。

…館内は撮影禁止だったのですが、多くの資料や写真、また当時実際
使われていた備品などがありましたよ。

あとは写真撮影可能屋外の展示物と、少し離れた所にある発電所跡
を見に行けば、毒ガス関連見れる所は概ね全部になりますかね?

→次回に続く



※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。

No.4200 駅長が見た風景