2018/02/13(Tue)
…日々
仕事をしてて、
お客さんから
缶コーヒーや
飴玉程度の
差し入れを
貰う事なら
よくあるのですが先日、
いきなり
菓子折りを渡されてしまい
ましたクラ駅長です。
状況から察するに、
目的地の会社で
渡そうとしてたけど
「やっぱりイイや」
と
中止の気分になり、
浮いてしまった
ようなんですよ。
…
奈良の会社の人に
奈良の手土産を
渡しても仕方ナイからなのか、
「
あんな相手にはやっぱり
手ぶらで充分!」と思ったからなのかは
謎。
播磨下里へ持って行くにも
賞味期限が微妙なので、日々のおやつに頂く
事にしました。…
近鉄奈良駅前のお店なので、後日にショーケースを
見たら
1個125円、
総額1,250円と判明しましたので、同額を自分の財布
から
「お釣り要らないよ貯金」に入れてあります。
さて
新たな報告ですが、なかなか
遠出が出来ずに、また
比較的近所の
廃線跡でして、
1964年…
昭和39年まで存在した
近鉄伊賀線の
廃線跡を
探りに行ってきました。
…一般的によく知られている
伊賀線(近鉄→伊賀鉄道)は、
近鉄大阪線
の
伊賀神戸から分岐して、
JR関西本線の
伊賀上野までの区間ですよね。

しかし元々は
上野市と名張市を結ぶ
目的で
1922年…
大正11年に、現在の
とは別の
元祖伊賀鉄道が開通させた
区間が最初なんです。
その後
1930年…昭和5年に
参宮急行
(後の
近鉄大阪線)が
伊勢までの伸延
を目指して
伊賀神戸まで延びてくると
「競合しても負ける」という予想から
伊賀鉄道も同社に合併しました。
…そして
戦時中には
伊賀神戸~西名張が
不要不急路線として
休止された
ものの、
伊賀方面 からの
貨物輸送の需要で
戦後に復活し、
昭和39年まで
残ってたと言う経緯の路線です。

前置きが
長くなりましたが、そんな感じで
奈良から
近鉄を乗り継ぎ
伊賀神戸に到着。今日は
ココからのスタートとなります。
今は再び
「伊賀鉄道」に社名が戻った
伊賀線ですが、名物は
忍者列車
でしょうね。ただ運転間隔が
意外と密で、
伊賀神戸での
折り返し時間が
短かく、車両は
滅多に見かけないイメージ。
でも
今回は居てました。…
忍者ラッピングのない「東急オリジナル」は
逆に珍しい存在かも知れません。
現在の
伊賀線は
ココが行き止まりで、端っこは
保線基地になってるの
ですが、昔はコノ先に
西名張方向への線路が続いてた事になります。
…そう言えばソノように
意識して見るのは初めての事ですわ。
時代によっては
名張方面まで、
2本の路線が存在したワケなんですね。
名張と西名張は直線距離で
1kmほど離れてたという事なので
「どっち
でも可」という利用客は
少なかったと思われますが。


ではココで駅を出て、
西名張…実際には
現在の名張駅まで歩いていく
事にしましょう。
…
手段は色々と考えたのですが、途中に
どぅ考えても車では無理な
山越えの区間があるので、今回は
徒歩です。
「
終了したら
現地ですぐに酒飲みたい」という毎度の意図もあるし。
今回も
何枚かに分けた地図を持参
してあります。
色々なサイトから総合して、
ある程度
のルートは分かってるのですが、
最新
のモノでも
10年以上前のやつだった
し、
変わってる所もあるでしょう。
…所で今回、画像では
イイお天気に
見えますが、
気温がめっちゃ低くて
風がキツいんです。
すごく寒いの!
西名張までは
営業キロにして
約10km。
「歩けば暖かくなるかな?」という
希望的観測で、何とか進んで行く事にしますね。
※コメント・感想は
→こちら までお願い致します。
No.4006 鉄道廃線跡を探る
2018/02/10(Sat)

…今年の
木村鉄道カレンダーには
猫が2匹。
通称
「ぱのろ」が載ってるワケなんですが、
自室の
炊飯器が
ソノ真下にあるもんで、
御飯を炊くとソノ
湯気が
ぱのろの前を通過
するという状況になっておりますクラ駅長です。
何となく嬉しいと言うか、
勝手にほのぼのする
瞬間ですね。私も
猫欲しいわ。
のろは兎も角、
ぱのが結構な
人見知りさん
だという事なんですが、出来たら
「お座敷列車
で猫放し飼い」というイベントをやって欲しい
モノです。
さて
五新線ですが、
バス専用道路が機能してた頃の
終点だった、
城戸駅
に到着しました。

先述の通り
上を通る高架橋は、
さらに先まで路盤を
建設しかけて放置
されてる部分です。…「
一般車両の駐車は
御遠慮下さい」だから
「入るな」
という事では
ありませんよね。
…敷地内には
バスの待合室と恐らくは
乗務員さんの休憩室などがあった
小さな駅と、地元の
小規模なタクシー会社があります。
車は
手前の空きスペースに置いて、
元のバスの駅を
探ってみました。
奈良交通バスのHPによると、
現在の城戸バス停は各方向とも
下の
国道交差点に近い場所にあるようで、ココは既に
バス乗り場としては
使われてナイようです。
…しかし
「専用道城戸」という
かつてのバス停名が残っており、
待合室
も
扉が開いてます。
何も無かったですけどね。


そもそもが
鉄道駅としても
使う予定だった土地なんでしょう、
バスの
転回スペースだけにしては
カナリ広いです。
…そして
専用道は
五条方向から続いていますが、ドコまで行けるか
先が見えないので
ヤメておきます。
多分、また
トンネルがあったら
ソコで終わりだと思われますし。
新宮方向へは、先ほど見えた
高架橋と、更に
ソノ先のトンネルが完成
していますが
使われておらず、広場は
駐車場と化しています。
見ると明らかに
フェンスで閉じられて
ますから、
ココまでにしておきます。
現在、
JR五条駅から
城戸までのバス
は
平日で8往復。それに
十津川や
新宮までの系統が
6往復加わります。
田舎ほど
自家用車の所有率は高い
でしょうから、
ソノぐらいで充分
なのかも知れません。
…果たして
「鉄道を通す」だけの
メリットはあったのか?と言われたら、
やはり
「ヤメといて正解」なのかも知れませんね。
途中の観光地として、
賀名生の梅林とか
十津川の温泉なども
ナイ事は
ナイのですが、
鉄道で客が来るほどの
規模でもありませんし。
バス専用道としての
現役時代に来れなかった
五新線ですが、
一般開放
という
珍しい形態での旅が出来たのは、
ちょっと面白かったです。
では続いて、
おまけネタとして
帰りに寄り道した、
五条市内の
保存SL
についての記事に参ります。
※コメント・感想は
→こちらまでお願い致します。
No.4003 鉄道廃線跡を探る
2018/02/09(Fri)
一昨日の事ですが、また
場繋ぎの小ネタしとて
JR和歌山線の
吉野口駅
と北宇智駅へ行ってきましたクラ駅長です。
…
吉野口は今時珍しくなった、
JRと私鉄が
同じ改札を共有してる駅
なのと
奈良県で唯一、
時刻表に[弁]のマークがある駅です。
そして
北宇智は、過去に
関西唯一のスイッチバックがあった駅なので、
久し振りに
ソノ遺構を見に行きました。
さて
五新線ですが、
旧西吉野村の
賀名生(あのう)という集落から、再び
バス専用道路跡地に入っております。

ぁ、また
猫発見。…コイツも
かなり栄養が足りてそうですが。
そして
集落内では
小規模な高架橋なら
通れる所があるようです。
総合的に見て
専用道を使ってるのは、
以下のような感じになります。
①…地元で
農作業をする人の
軽トラック。 ②…
宅配便や
郵便配達。
③…ジョギングや通学の
歩行者。 ④…私のような
物好き。 ⑤…
猫

更に
調子に乗って進んで行くと、また
フェンスが出てきて
行き止まりに
なっておりました。
…隙間から見てみるに、
カーブの先には
国道168号線を跨ぐ
結構な長さ
の橋梁が見えます。でも
コレはダメなんですね。
結局の所
専用道が使えるのは、
トンネルや
大きな橋梁を
除いた平地
部分で、集落と集落が隣接してて
国道へ出ずとも裏道で結ぶんだ方が
ラクなケースの場所に限られるようです。
という事で再び
国道168号線に戻って、先程見えていた
長いコンクリート
橋梁の下をくぐります。…そして
国道のトンネルを幾つか越えると、
城戸
という交差点に達します。
五新線として
五条から新宮まで行こうとすると、
まだまだ入口な感じの
地点ですが、
バス専用道路としては
ココまでの運行でした。
…私も
国道168号線を通って
十津川や
新宮まで行った
経験はあるので、
見た事のある風景なのですが、国道から川を挟んだ対岸に、
専用道の
終点だった
城戸駅?が見えます。
交差点を
左折して
近くまで行ってみましょう。
バスはココ止まりですが、
更に先へ続く高架橋と
一部のトンネルは造られたので、
無駄に立派な
高架の下に
城戸駅への入口があります。…もぅ
行くしかナイですね。
※コメント・感想は
→こちらまでお願い致します。
No.4002 鉄道廃線跡を探る