2018/02/16(Fri)
近鉄伊賀線の廃線跡を探りに行った日、
帰りの
伊賀神戸駅で見ました。
クラブツーリズムの専用車両
「かぎろひ」
の
15400系ですね。咄嗟の事だったので
方向と画角が
イケてナイのですが。
大抵の場合、このような
ツアー専用車は
定期列車に併結する事が多いと思うの
ですが
2両単独で走るのがスゴいわ。
…
ダイヤに余裕があるんでしょうか?ソレとも
金持ってるから?
なかなか
稀有な使い方をしてるもんだと
感心しておりますクラ駅長です。
内装は
一般特急車と
ソレほど変わらないので、鉄ヲタ的には特に
乗って
面白いもんでもナイかも知れませんけどね。
さて
ソノ伊賀線の廃線跡です。元は
トンネルがあったと思しき
山間部は
草に埋もれて流石に
進めなくなったので、
平地を迂回して
小さな集落に
出ました。
昔の街道には付き物の
石製の常夜灯があります。…コノ辺りは
伊勢神宮
に間近な地域であり、各地から
伊勢へ向けての旅人が往来した道だった
のでしょう。
旅の道しるべであると同時に
コレ自体も信仰の対象となるモノなんです。
中学生の頃、
歴史関係の部活だったんで
地元にあるコレを
探して歩いた
想い出があるのと、
大学のゼミは
奈良から伊勢まで歩いて行く行事が
あったもんで、
懐かしいアイテムなんですよ。

持ってきた地図に従って、
集落から
線路があったと思しき方向へ続く
畦道へ入ってみましょう。
…
用水路を跨ぐ感じで
二重に組まれたコンクリート製のアーチ橋が
出てきました。事前に資料で見て来た通りの
遺構です。
恐らくは
下の部分で
人間も渡れる(線路の
下をくぐれる)ように考えて
コノような構造にしたんだと思われます。
周辺の畑は今でも
土地の人が使ってるらしく、
トンネル内(アーチ橋の下)
は
物置代わりに使われておりました。
そして出口方向には
鉄製の柵がありますが…
「ここを
出入りされる方は
責任を持って扉の開閉をお願いします。」か。
つまり
「入ってはダメ。という事ではナイ。」んですね。

そんな感じで無事に
反対側へ抜けました。…見ると
左方向へ登っていく
坂道があり、ソノ上に
廃線跡の道床が続いてる感じです。
そして
築堤の上にも
害獣除けの柵が巡らせてありました。
ともあれ再び
分かりやすい道が現れましたので、続いて
ココを辿って
行きます。…しかしコレだけ
厳重に柵があるって事は、ホントに
何か
出るんじゃナイだろうな?
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No.4009 鉄道廃線跡を探る
2018/02/15(Thu)
先日また久し振りに
会社の研修で
飛鳥地方へ行きまして、昼食に
奈良県
では有名な
吉野葛のお店へ行きましたクラ駅長です。
葛は基本的に
お菓子の材料になる場合が多いのですが、ココでは
饂飩や
カレーのような
料理にも使われています。
そして
地元の野菜をそのまま頂く
野菜バー(≠サラダバー)があるのが
有り難い所です。…普段、
緑黄色野菜が
不足しがちなので。
さて
近鉄伊賀線の
廃線跡ですが、
田んぼの畦道を更に進んで行きます。
足元の砂利が、どうも
「バラストっぽく見える」のは
錯覚でしょうか?
廃線から50年以上ですから、流石に
残ってナイかも知れないのですが。
そして
廃線跡は
コンクリート製の小さな橋を渡り、
山手の方向へと続き
ます。恐らくコレは、
近年になって
道路用に架け替えられたモノでしょう。
…ソレはいいんですが
欄干が不自然に潰れてるのは
何故だ?
模型を
誤って踏んづけちゃったとか、そんな感じですよね。
伊賀の地には
私らの知らない
巨人が住んでるのか?元々
忍者が居た土地だし。

半ば
山道と化した
廃線跡を更に進みます。途中までは
軽トラック程度なら
通れそうな道幅でしたが段々と狭くなり、ほぼ
獣道になってしまいました。
…資料によると、
この先は山に当たるので
トンネルで越えてたらしいの
ですが、流石に
もう見つけられないかも知れません。
そして
倒木が出てきて遂に
行き止まり。…そして
更に道を塞ぐ感じで、
何やら
金属製の大きな物体がありますよ。
…コレの小さいやつは、子供の頃に
見た事があるわ。
ネズミを捕獲する
ためのワナでした。という事は、
このサイズだと
イノシシか何かでしょう。
確かに
「狩猟」と記された
許可証らしきモノが貼られています。
つまりココは
リアルにイノシシなどが出るって事ですかね。
こりゃ大変。
コレ以上進むのは
無理だと判断しましたので、
道路へ出れる感じの所
まで
戻って迂回しましょう。
…地図によると
廃線跡として確認出来る畦道は、右図の
赤い線の部分
だけでしたので、
ソノ前後を結ぶ辺りが
トンネルで繋がってた感じだろう
と推測されますな。
外からの見た目は左の感じ。あの
尾根の中か?
この辺りは殆ど
線路の遺構がなく、
単なるハイキングになってますが、
廃線跡の旅は
更に続きます。
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No.4008 鉄道廃線跡を探る
2018/02/14(Wed)
播磨下里まで
車で行く場合、いつも
奈良を
暗いうち(朝6時過ぎとか)に
出て現地へ向かい、
中国道の加西インターを降りてから
洗車する習慣
になってるのですが…
前回はガソリンスタンドの
洗車機が
悉く凍結しておりまして、
往生しました
クラ駅長です。
…
加西地方も
兵庫県では
内陸部の盆地であり、
奈良より
標高も高いん
でしょうか?
雪こそ少ないものの、
冬場の冷え込みは
厳しいですね。
さて
近鉄伊賀線の
廃線跡ですが、スタート地点の
伊賀神戸駅を出て、
まずは
北西方向へと向かいます。
過去の資料だと、
保線基地の端っこから
田んぼの畦道を通って
廃線跡
を歩く事が出来たようですが、
地形が変わったのか
草に埋もれたのか
ソコまで
辿り着く事が出来ませんでした。
その代わり、
新しい道路が造られてるようで、ソレを通って
現在の近鉄
大阪線に近い場所まで行く事にしましょう。…まだ
正式には開通前の
ようで、
車は入れないようにガードしてあります。
…正確には
左の画像の地点からが
廃線跡という事になりますが、ココで
すぐに
近鉄大阪線の
下をくぐります。
基本的に
鉄道の交差地点というのは、
先に出来た方が地表、
後からの
方が
高架だったり
地下だったりするワケで、
伊賀線の開通が
大阪線より
8年早い事の証拠がココに表れてますね。
交差地点は
後の時代に
コンクリートなどで改修されたようですが、
築堤は
基本的に石積みである事が分かります。
…そして
高架下を抜けると、
盆地の田園風景が広がりました。
ココまで特に
車止めなどはナイので、
軽トラック程度なら入れる模様。
轍も残ってるから実際に
農作業で入る人が居るんでしょう。
畦道の
ちょっとした橋が
明らかに枕木だったりするのは、やはり
廃線跡
ならではの光景ですね。
そして現在の
近鉄大阪線は、私らが子供の頃よりは
本数が減ったとは
言え、まだまだ
特急街道の感じなので、
頻繁に
特急電車が通ります。
伊賀線の廃線跡は、ココから
大きく南へカーブして、
山裾を通るルート
になっていくようですが、恐らく
ココから美旗新田駅跡までの区間が
一番の難所となる予想。どうなります事やら?
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No.4007 鉄道廃線跡を探る