新・駅長日誌

このブログは画像容量が限界に
達したため、更新を停止致しました。

別子銅山記念館 ①

2018/12/13(Thu)

貸切列車の後「浅草ヨシヨシ会」からの余った画像ですが…

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仕事終わりで合流して、早速飲んだくれるつるぎさんと、料理に焼きそば
か何かがあったのに「〆めのラーメン」を注文したピカチュウ親方

今回は終わるのが早かったのもあって、ダラダラと移動してから始めても
遅くならずに済んだ気がしますクラ駅長です。…やはり2泊にして正解
慌ただしく帰るのは面白くないですからね。

お付き合い頂きました皆様、楽しいひと時をありがとうございました

さて愛媛県です。総合科学博物館を見た後は少し移動して、別子銅山
記念館という施設にやってきました。

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別子銅山は、江戸時代初期元禄3年(1690年)に発見されて以後、
昭和48年までの300年近くに渡って、銅の採掘が行われていた所です。

…しかし「コレ以上掘る(崩落などが)ヤバい」という事で閉山になり、
ソノ歴史的な遺物や資料が展示されてる施設が幾つかあるワケです。

そこに鉱山があれば、明治に入ると鉄道が敷かれるのが当然の流れ
でしょう。保存車が何両かあると聞いて来たんです。

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記念館大山積神社というソレに隣接して建てられていました。
ココは開山に伴って祀られた神社で、銅山施設の発展作業の安全
などが祈念されてた所だと思われます。

奈良に住んでると錯覚しがちですが、神社や寺院ってのは人間が
何かをする(新しく村や工業団地を作るとか)時に新設される場合も
多く、比較的新しいのが割とあるようですね。

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そんな感じで保存車です。まずは別子銅山専用鉄道で使われてた
小型の蒸気機関車ですが、明治25年に輸入されたという、当地の1号
機関車が保存されています。

愛媛県総合科学博物館の回で述べた通り、四国で初の鉄道明治
21年
松山軽便鉄道から始まりました。

国鉄大正に入って、多度津を中心に路線を延ばして行った感じ
なので、当時の愛媛県では鉄道そのものが珍しく多くの見物人
押し寄せたのだそうな。

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2軸(B型)小さなタンク機関車で、松山軽便鉄道のソレにも似た
スタイルですね。

昭和33年「鉄道記念物」、そして昭和38年「準鉄道記念物」
指定が始まり、コレは四国で初めて「準…」に指定された物件です。
「国鉄四国総局」ってのが懐かしいですが。

では続けて、神社の境内を囲むように展示されてる別の車両なども
見ていく事にしましょう。

→次回に続く



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No.4309 鉄道保存施設を探る