新・駅長日誌

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達したため、更新を停止致しました。

大久野島の近代遺跡 ①

2018/08/25(Sat)

駅ノートを描きに行った樽見鉄道日当駅での事ですが、やはり描く
のに時間が掛かる
ので、ローカル線とは言え、何本かの列車が往来
するワケなんです。

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…その都度ホームに出て撮ってる「旅と鉄道」の表紙みたいなのが
撮れてしまいましたクラ駅長です。

やはり駅の前後鉄橋トンネルという、そのまま撮り鉄スポット
状況だったのが良かったんでしょうね。

さて大久野島の報告に戻ります。…「うさヨシヨシ」はそろそろイイと
して、ココのもう1つの側面である毒ガス研究施設としての遺跡など
を見て行きましょう。

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近代に入ると、やはり瀬戸内海の島の1つとして付近には多数の船舶
が往来しますから、最初は明治時代逓信省によって灯台が造られ、
後に陸軍「芸予要塞」という名で砲台などを設けました。

毒ガス兵器研究と製造が始まったのが昭和4年の事。…時代的に
言えば第一次世界大戦日中戦争の間ですわな。

毒ガス兵器第一次大戦から各国が使うようになったので、日本でも
大正末期からソノ研究が始まってたのだそうです。

大久野島にはソレまで7世帯の民家があって、畑仕事などをやってた
ワケですが、軍部によって強制的に引っ越しさせられたらしいです。

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そして研究所発電所貯蔵庫などが造られ、最大で約2000人
島で働いてたという事ですが、島は敗戦時進駐軍に接収され、
毒ガスそのものは多くが焼却処分となりました。

…しかしコンクリート製の建物の多くが、現在も遺跡として残され
おり、説明書きなどを付けて見学出来るようになっています。

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施設の基幹となる研究所は、やはり島の真ん中付近の平地にあった
ようで、現在の国民休暇村本館付近がソレだったようです。

今は倉庫にでも使ってるのか、ソノ時代の物らしき建物1つだけ
残っておりました。解説によると「一時期は国民休暇村の宿泊施設
だった」?…人が泊まって大丈夫なんですかね(衛生的に)?

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そして島の随所毒ガスの貯蔵庫の跡が残っています。
コレは円筒形のタンクを置いてあった跡でしょうね。崖を掘ったような
半地下になってます。

…実際には「うさヨシヨシ」平行して見学してましたので、ウサギ
見て和んだ後に戦時中の施設とか、無駄にメリハリのある1日でした。
では続けて島内の遺跡を見ていく事にします。

→次回に続く



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No.4199 駅長が見た風景