新・駅長日誌

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達したため、更新を停止致しました。

紀州鉄道の廃線跡を探る ②

2018/03/25(Sun)

…またしても前説のネタが切れましたので、Wikipediaから鉄道絡みの
「今日は何の日?」
をパクってみましたクラ駅長です。

1985年 - 国鉄のプリペイドカード・オレンジカードが発売開始。
1988年 - JR西日本能登線(七尾~穴水~輪島・蛸島)がのと鉄道に転換。
1991年 - 桃花台新交通桃花台線(ピーチライナー)が開業。

オレンジカードは最初「ジュースが買えるのか?」みたいな笑い話が
あったのを記憶しています。

のと鉄道の末端区間ピーチライナーは、気が付いたら廃止されてた
という寂しさも感じたりしますが、前者の方は遺構が沢山残ってるらしい
ので、今後のネタになりそうな気がしております。

さて紀州鉄道です。現在の終着駅である西御坊から僅か700mですが、
廃線跡の旅をしておりますが…
 
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レールの他に腕木信号機踏切の警報機など残ってて、廃線跡として
小道具は揃ってる感じでした。

…先述の通り、土地の所有者紀州鉄道のまま(本業は不動産屋)だ
として、本社が東京だから目が届かないという状況か、地元の皆さん
散歩道と化してるイメージでした。

平日の昼間から、謎のおじさんが座ってたりしますし(左)。

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廃線から20年近くが経ち、遺物などもイイ具合にヤツレてきました。
…一応「使用中止」とは書いてありますが、現役のモノ間違う人も
居ないでしょう。
こういうプレートは、裏返すと「踏切注意」とか何とか、通常使用時の
文字が入ってるもんなんですが、錆びてて動きませんでしたよ。

そして腕木信号機近くにあったという事は、間もなく駅だという事で、
すぐに元の終点だった日高川駅の跡地が出てきます。

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分岐器部分を含む何本かのレールと、駅ホームの跡が残ってました。
私が来た現役時代は、まだ木造の駅舎があって列車の折り返し時間
運転士さんと車掌さん駅に入って出札業務もしてましたね。

元々ココには製紙工場があり、国鉄と連絡しての貨物輸送で紙の原料
となる木材チップを運ぶという需要があったんですよ。

紀州鉄道でもL型小型ディーゼル機関車を所有しており、トラ程度
のサイズの無蓋車金網で嵩上げしたやつ…分かる?)を牽引しての
貨物列車が走ってたそうな。

1984年合理化で、国鉄の貨物列車はコンテナ輸送などの一括方式
のみになってしまい、上記のような小さな貨車を混結しての貨物列車
廃止されます。

貨物輸送収入の大部分を頼ってた筈なのに、その煽りを食らって
一気に経営が悪化した中小私鉄は、ココだけではナイ筈ですわ。

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行き止まりから土手を越えた所が、この地区随一の大河である
日高川です。…案珍清姫伝説道成寺なんかも近いのかな?

国道大きなトラス橋と並行して、小さな古い橋脚が残ってました。
コレが紀州鉄道の延長線上にあるので、廃線跡の続きに見えない事も
ナイのですが流石にそんな史実はなく国道橋梁跡だと思われます。

新しく開店したキハ603号のお店と、再確認出来た廃線跡と、小規模
ながら充実した紀州鉄道の旅でした。



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No.4046 鉄道廃線跡を探る