新・駅長日誌

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旧逢坂山隧道 ④

2018/01/06(Sat)

葬式の喪主というのは、殆ど「イベントを仕切る仕事」だという事を
理解しましたクラ駅長です。

元々が飲食店勤務なので、必要人数を数えて料理を発注する…とか
言う類の仕事には慣れております

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なのに精進落とし料理が余るってどぅいう事よ?
ソレほど近くない親戚の人が、遠慮したのか用事があったのか、早々に
帰ったからなのですが…完璧を期したい私としては些か不満です。

余った料理誰も手を付けなかったので、持って帰りました
そしてまた内容を仕分けして、早く傷みそうなヤツから順に酒のアテ
します。御飯部分は電子レンジで温め、カレー用に使ったな。

さて逢坂山越えですが、トンネルそのもの歩く事が出来ないので、
国道1号線迂回して西側へと回ります。

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鉄道のソレとは関係なく古代からココは京の都へ入る手前の位置として
関所が設けられた所でした。

現在の地名で言う「逢坂1丁目」の交差点は、東海道である国道1号線と、
湖西を通って若狭方面へ抜ける国道161号線分岐点に当たります。

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並行して走る京津線と、マトメてオーバークロスする大きなアーチ橋
名神高速道路。まぁ現代ではコレが一番の輸送量なのかも知れません。

そして京津線にも逢坂山トンネルがありますが、ソノ付近はカーブ半径
カナリ小さいんですね。

…車両が16m級の小型車ですが、外側のレール車体の真ん中付近
まで
ズレると言うか模型ならイザ知らず、実物の鉄道でこんな光景は
初めて見たかも知れませんよ。

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相変わらず京津線40‰で峠を越えます。道路逢坂山の関所跡
という付近に、石碑と案内看板がありました。

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…やはり本格的に機能していたのは平安時代ごろまでですか。
時代劇のメインとなる江戸時代では、やはり箱根の関所の方が重要
だったのは間違いナイでしょうか。

関所の建物を模して造られた小屋っぽいモノは、公衆トイレです。
寒い中をココまで歩いてきたので有り難く使わせて頂きましたよ。

ココから道は下り坂になります。国道から反れて、旧街道っぽい狭い道
へと進んで行きました。

→次回に続く



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No.3968 鉄道保存施設を探る