新・駅長日誌

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旧逢坂山隧道 ③

2018/01/05(Fri)

天理軽便鉄道おまけネタが1つ残っておりました。廃線跡巡りの半ば
で立ち寄った安堵町歴史民俗資料館の光景なのですが。

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当日はどうやら小規模なイベントが行われてたようで、施設前の駐車場
ブルーシートが敷かれ、色々な道具が並んでおりました。

看板にある「稲こき」というのは、脱穀作業の事です。
だから置いてあるのは全てお米を収穫した後に、脱穀籾摺り選別など
を行う農機具ですね。現在のように機械化される…恐らくは江戸時代
~昭和初期
に使われてたモノだと思われます。

…流石にリアルタイムな世代ではナイものの、大抵の事は分かるクラ駅長
です。実家の倉に一式あったしな。

さて旧逢坂山隧道ですが、大津駅から国道1号線を歩いて、ようやくソノ
東口に到着しました。

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明治建築ならではの、どっしりしたレンガ積みトンネルポータルが鎮座
してます。…最近になって整備されたであろう案内看板がありますね。

歴史的な価値としては「初めて日本人技師だけの手で彫られた鉄道の
トンネル」という事になるそうな。

土木技術に限らず、明治の近代化は何でも「お雇い外国人」から学んだ
モノですが、彼等とて一気に知識を教えてしまうと自分たちの存在意義
を失ってしまうので、総じて「出し惜しみ」な風潮だったようですね。

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上部の詞書きは、明治の元勲の一人であった三条実美の筆によるモノ。

何かが完成する事を言う「落成」の代わりに「楽成」という造語を当て
てあるそうな。トンネルに「落」だと「落盤」を連想して縁起が悪いです
からね。…と、看板に書いてある事の丸写しです。

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トンネル内部は、数メートル先まで入れるようになってますが、ソノ先は
施錠されたドアがありました。

現在の逢坂山トンネルが造られた後、太平洋戦争中には航空機の
部品工場になりましたが、現在は京都大学地震計を設置した観測
施設
になってるそうな。

向かって右側にあるのが、後の複線化追加された方のトンネルです。
用途はよく分からんのですが、ドアの感じがソノ荒れ方も加味されて
潰れたスナックみたいな印象だよな。

ホントにスナックだったら笑えますね紫地に黄色い字とかの看板
スナック隧道」とか、ありそうで怖い。

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狭い台地みたいになってるトンネル東口の
土地から、さっき歩いてきた東側を見て
みますと、植え込みなどの向こうに辛うじて
旧東海道本線の橋台跡が見えますね。

京阪京津線と、昔からの街道オーバー
クロスした東海道本線の線路が、ココに
通じていた事が明白な位置関係だと見て
取れます。

大津駅はもう少し坂の下にある感じなので
短距離の間に高度を稼ぐ急勾配約25‰
の登り坂だったようですね。

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そんな感じで旧逢坂山トンネル東口
見学を終えました

トンネル内部は地震観測施設になってるし、
先に言っちゃうと西口名神高速道路を建設
した時に埋まってしまったので通り抜けは
出来ません


猫ヨシヨシからの寄り道なので、夕方で
段々と周囲も暗くなってきたのですが、国道
1号線
を迂回して西口の方へも回ってみる
事にします。

→次回に続く



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No.3967 鉄道保存施設を探る