新・駅長日誌

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別府鉄道を探る ③

2017/09/22(Fri)

古い時代の小説を読んでると、電報というモノがよく出てきます。

最近はもぅ、結婚式だとか葬式だとかの儀礼的な使われ方のみに
なってて、アレを日常の通信手段にしてる人は皆無だと思われますが、
昔はホントに現在のメール感覚で使われてたんでしょう。

先日、知人のお祝い事電報を打つ事になり、ネットからソレを申し
込んだのですが、宛先に不備があって変更する必要が生じたんです。

アレは申し込みはネットで出来るものの、取消や変更は電話のみ
なんですよね。
…今時、電話口の係の人宛名の漢字口頭で説明して、変更内容
復唱して貰って…という事にカナリの不便を感じましたクラ駅長です。

何でソコだけ中途半端に電話なのか?コールセンターの人たちの雇用
を守る
ためとか、そんな理由しか思いつかないのですが。

さて別府鉄道を探る旅です。土山線廃線跡から転換された遊歩道の
「であいの道」は、大中遺跡公園に入っておりますが…

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大中遺跡、つまり古代の大中村は当時の発音では「オポナカ村」と言う
らしく、併設されている郷土資料館の看板にソノ通りに書かれています。

「いせきくん・やよいちゃん」というファンシー系のキャラクターが居ます
が、お絵描き会周辺で彼等よりメジャーなのは、オポナカちゃんでしょう。→https://twitter.com/OPONAKAchan

大中遺跡の妖精だそうで、はりまりこさんと同じく播磨町非公認
萌えキャラちゃんです。中の人あまり出てこないようですが。

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公園内には、復元された竪穴式住居が幾つも展示されており、中にも
入って見学する事が出来ます。

我が故郷の奈良県田原本町にも、唐古遺跡という弥生時代の集落跡
としては日本有数の規模を誇るモノがあるんですが、…このような
効果的な見せ方全くしておらず非常に羨ましい限りです。

他の地域としては登呂でも吉野ケ里でもイイのですが、みんな立派な
歴史公園があって、このような復元建物が並んでるのに、子供の頃
から「何でウチはあんな風じゃナイのか?」という事が疑問でした。

恐らく「奈良県人は商売が下手」という一点に尽きるのだと、最近に
なってようやく分かったワケなんですが。

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そんな感じで、入館無料の資料館を見学させて頂きました。

…ココでは弥生時代の遺跡に関する出土品などの展示に混じって、
別府鉄道の歴史も紹介されています。

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殆どが貨物メインで、旅客収入は僅かだった別府鉄道ですが、規模
殆ど軽便鉄道に近いもんで、館内の説明によると地元の人たちから
「ガッタン」と呼ばれてたそうな。…「ガッタンが来たぞ」みたいな。

なるほど、ソレで「ガッタン姉妹」由来の謎が解けましたわ。

「ガッタン姉妹」って何だよ?…ソノ辺は次回資料館の裏に展示
されてる保存車両と併せての説明とさせて頂きます。

さて、この記事を出したら関西空港に向かいまして、明日からはカナリ
遅い夏休み毎年恒例北海道の旅ですよー。



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No.3862 鉄道廃線跡を探る