新・駅長日誌

このブログは画像容量が限界に
達したため、更新を停止致しました。

三木鉄道を探る ②

2017/12/04(Mon)

…昨日もお絵描き会で、北条鉄道の播磨下里駅へ行ってきました
クラ駅長です。

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前回、ソノ工事の最中だったイルミネーション点灯初日という事で
暗くなるまで頑張ってたのですが、私も実物を見るのは初めて

予想以上に豪華な仕上がりで、近所の皆さんも沢山見物に出てこられて
ました。コレは一見の価値がありますよ。詳細は後日ね。

さて三木鉄道の跡地を探る旅ですが、先程の橋台跡から少し進んだ
地点でまた県道から外れ、廃線跡寄り道です。

三木鉄道(三木線)の駅は、厄神から順に国包宗佐下石野石野
西這田別所高木三木…と並んでいました。

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開業時国鉄時代からの駅と、第三セクター化後追加された駅が
混じってるワケですが、駅の体裁として残ってるモノ残ってないモノ
がコレまた混じっており、ココが2つめの宗佐駅跡地なんだそうです。

Wikipedia当該ページや、古い廃線跡探訪のサイトでは駅のホーム
が確認出来る画像が載ってるモノもあるのですが、1つ手前の国包駅
ともに2009年撤去されたそうな。

何れも短いホーム簡素な駅舎だけの駅だったようです。

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…近くにある住居案内図は昔から更新されてナイのでしょう。駅と線路
そのまま描かれており、線路を横切っていた道路には踏切跡のガード
が残っておりました。

ココから土地が少し小高くなっており、線路は切り通し三木方向
向かいます。…要するにこの丘行政区画の境界となっておりまして、
こっち側が加古川市、向こう側が三木市なんですよ。

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 …線路跡南側を、ほぼ平行して走る県道20号線も同様です。再び
県道へ戻って市の境界を越え、三木市に入りました。

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加古川市から三木市に入ったと言っても
全体の風景殆ど変わらないのですが、
決定的な違いがコレ。

三木市側廃線跡は、殆どの区間
このような遊歩道として整備されてます。
ココまで差が歴然とした廃線区間初めて
見ました
が、コレはもう市によって発想と
カネの掛け方
全く違うからに他ならない
でしょうね。

三木鉄道第三セクター会社だったので、
「社長=三木市長」という理由なのが第一?
 
加古川市側敢えて弁護するなら、こっちは築堤が多くて使いにくい
という事情もあるかも知れません。

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自転車も余裕で通れそうな状態ですが、何故か禁止されておりますので、
ジョギングとか犬の散歩とかに使われてるのだと思われます。

…所々に枕木を再利用したようなベンチがあったり、踏切の標識と柵
コレはもう「記念碑的わざと残してる」んでしょうね。

廃線跡遊歩道なら、三木市側にあった駅の跡地どうなってるのか?
期待しつつ進んで参ります。



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No.3935 鉄道廃線跡を探る

三木鉄道を探る ①

2017/12/03(Sun)

幸福駅「おまけネタ」ですが、保存されているキハ22を使って「現役の
路線で乗り鉄してる風に見える写真」を撮ってみましたクラ駅長です。

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…朝から狩勝峠を回ってココに来たのが夕方近くになったもんで、カナリ
陽が傾いており、こんな感じになりました。北海道の車両特有の、サイズ
の小さい二重窓が好きです。

さて新たな報告です。日々北条鉄道へ行く事が多くなり、兵庫県の播磨
地方気になった廃線跡第二弾として、三木鉄道を探りに行きました。

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三木鉄道は元々、国鉄三木線として加古川線の厄神駅から東の三木駅
までの6.6kmを結んでいた路線で、全通は1917年1985年第三セクター
会社の三木鉄道となったものの、2008年に廃止された路線です。

北条鉄道1985年同時に第三セクター化され、地域も近いので兄弟
ような感じだったのですが、三木鉄道には対抗路線として神戸電鉄
が存在するもんで、神戸や大阪方面へのお客を奪われたのでしょうね。

廃線からまだ9年という事で、カナリ色々残ってると聞きました。
…そして私は詳しく知らないのですが、末期かつ木村鉄道の初期
イベントで訪れた事があるんじゃなかったかな?

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そんな感じで、JR加古川線厄神駅からスタートです。
…距離からしてレンタサイクルで回るのが良さそうでもあるのですが、
最寄りは加古川になりますので、ちょっとツラいものがありますね。

「厄神」という駅名は、近くにある宗佐厄神八幡神社から来たのだと
思われます。勿論「厄除けの神様」であって疫病神ではありません。

加古川方向から入る向きで、今は使われていない3番線があり、ココが
三木鉄道の発着ホームだったようです。

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粟生方向には加古川線の車両基地(網干総合車両所明石支所加古川
派出所…近カコ)があり、ソノ脇から廃線跡が続いておりました。
JRの車両基地ってのも、合理化だの統廃合だので長ったらしい名前
の所が増えましたね。

車両基地のすぐ脇に、踏切の跡が残っておりました。新しい廃線跡なら
定番の遺構でしょうか。

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廃線跡はココから東の方向へ緩く曲がって行きます。が、車で走れる
状態ではなさそうなので、少し迂回する事にしましょう。

三木鉄道と概ね並行して、県道20号線が走ってますので、基本的には
ココを通り、各種の見どころだけ寄り道する事にします。

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まず目に付いたのが、このような橋台の跡でした。田んぼの中を築堤
で走る途中に、道路が下をくぐる構造で造られたモノなんでしょう。
レンガ造りだからカナリ古いものだと思われます。

橋桁無くなっても制限高さを示す標識だけは残ってるんですね。

そんな感じで三木鉄道の廃線跡を探る旅がスタートしました。



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No.3934 鉄道廃線跡を探る

別府鉄道を探る ⑩

2017/09/29(Fri)

関西国際空港へ行くと毎度目に付くのがコレなんですが…

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今回もポケモンストアパイロット仕様巨大ピカチュウ(中でトランポリン
みたいな遊びが出来るやつ)に見送られ、旅立つ事になりましたクラ駅長
です。…他の空港にはナイのに、何で関空だけなのかしらね?

やはり国際空港であるが故に、外国人ウケを狙ったものなんでしょうか?

さて別府鉄道を探る旅ですが、そろそろ野口線終点である野口駅
到着です。先述の通り、昔(1984年まで)は山陽本線加古川からココ
を経て高砂港まで、国鉄高砂線が走っておりました。

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高砂線の廃線跡というのも、殆どの区間が道路に転用されており、
信号機などの設備モニュメントとして残ってるらしいと聞いております
ので、今後の課題になるでしょうね。取り敢えず今回は野口駅跡です。

花壇のように嵩上げされた部分に線路が敷かれ、気動車用のDT22
思しき台車が置かれています。…「台車1個」というのも珍しい?

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所でコノ台車気動車用なので変速機に繋がるディファレンシャル
(継手)
が片方に付いてる構造なのですが、試しにシャフト(軸)部分
を触ってみたら、ちゃんと回転しました!優秀なベアリングだな。

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野口駅高砂線で、加古川から1つ目の駅だったワケですが、昭和の
時代同名のアイドルさんと言えば「新御三家」野口五郎さんですよ。

Wikipediaによると現役当時彼のファンの皆さんの聖地だったとか。
四国予讃線には五郎駅があるワケで…「野口→五郎」の切符が
発券出来れば、さぞかし売れた事でしょう。でもココ既には無人駅…。

ちなみに「野口→五郎」廃止当時の普通運賃で調べると、宇高連絡船
を入れて4,900円と出ました。…記念切符として買うには高いかな?

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そんな感じで最後は一度、加古川駅に立ち寄ってから、自転車を借りた
東加古川駅まで回送して別府鉄道を探るサイクリングの旅は終了と
なります。…午後から天気が良くなったのでカナリ日焼けしましたよ。

高砂線跡地と、かつめし他のお店次回以降の課題ですな。

時系列としては梅宮大社の猫ヨシヨシagainに繋がりますが、既に終わり
ましたので、次回の記事は同じく京都府浄瑠璃寺における猫ヨシヨシ
へと移ります。



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No.3869 鉄道廃線跡を探る