新・駅長日誌

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愛宕山鉄道を探る ②

2018/06/19(Tue)

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大阪方面
から車で帰ってきた場合、
阪奈道路の高架を降りて最初に「奈良
に帰ったな」と実感出来るのが、この
平城宮跡の朱雀門でしょう。
Twitterでは「我が家の正面玄関前」
というネタにする事もありますが。

復元されてもう30年近くになると思うん
ですが、当時意外にもアニメのネタ
なってるんですよ。

「カルラ舞う!奈良怨霊絵巻」というやつで、コレを復元しちゃったために
封じれていた古代の悪霊まで蘇ってしまうとか何とか…。

すぐ横を走る近鉄線は、初期塗装のビスタカーⅢ世が出てきます。

ぇ、知らない?観光の仕事の時、アニメを理解しそうと見た若い人だと
興福寺の八部衆にも居る迦楼羅神の像と併せてネタにする事があるの
ですが、通じた事がないクラ駅長です。

同世代のアニメおたくでないと無理なのか?

さて愛宕山鉄道を探る旅です。先程の高架道路山陰本線の線路を
越え、丸太町通りを横切ります。

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廃線跡の殆どが、この府道29号線として道路転換されてる感じでしょう
か? 片側1車線の有り触れた道路なので、コレが廃線跡だと知る人も
今では少ない筈。

…私も何度か通った道ですが、 意識して見たのは初めてでしたよ。

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程なくして嵯峨釈迦堂前というバス停が出てきます。鉄道線だった当時
はコノ付近に釈迦堂という駅と車庫があったそうな。

「釈迦堂」ってから小さな堂宇かと思ったら、コレは清凉寺というカナリ
大きなお寺の事であると。

…更に行くと時代劇のロケ地で有名な大覚寺などもあり、愛宕山鉄道
山手へのレジャー客だけでなく、途中の社寺への参詣客の需要も
担っていたんでしょう。

ちなみに嵐山からココまでの間に嵯峨西という駅もあったらしいの
ですが、どの資料にも確たる場所の分かるモノはありませんでした

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更に進むと、段々と洛北の山脈が見え始め、登り坂になっていきます。

小高い丘の脇を通る区間は進行方向の右側が石垣になってますが、
コレは鉄道線時代から存在するものだと言う事。…そう言われれば
この手の築堤
というのは他所の路線でも割と見かける感じかな。

愛宕山鉄道京阪電鉄京都電燈京都市電の前身?)の共同出資
会社
だったので、開業当初から電車による運転でした。

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…なので随所に木製の架線柱が、根元だけですが残っています

そして線路の左側の一段低い所に旧街道が通っており、この付近
平行した地点にあるのが化野(あだしの)念仏寺です。

「化野」という、他所者には耳慣れない名称ですが、元は平安時代から
続く墓地があった所で、現在も無縁仏や水子の供養などが行われる
お寺として知られておりますね。

…今回はお寺がメインではありませんので、スルーして鉄道の遺構
中心に見て行きます。 都合のいい資料館が近くにあるという事なので、
ソレにも立ち寄ってみましょう

→次回に続く



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No.4132 鉄道廃線跡を探る