近鉄伊賀線で西名張へ? ⑨
2018/02/21(Wed)
…たまたま入った飲み屋で、たまたま座った
カウンターの目の前にあった焼酎のボトル
なんですが、農家の嫁?
亡くなった小説家の中島らも氏が、何かの著作
の中で昔のソレを指して「オ○コつき労働力」
と表現してたのを思い出し、何とも憂鬱な気分
になりましたクラ駅長です。
どうも「虐げられてる存在」というか、プラス
イメージが湧かないんですよ。…少なくとも
「美味そう、飲んでみたい!」とは思いません。
そんな些細な事を覚えてる方が変なのかも知れないのですが、何だかな。
さて伊賀線の廃線跡を歩く旅ですが、
桔梗が丘の住宅地を抜けて再び、
旧来の村落を横切る所に来ました。
進行方向の左手、方角で言うと南側に
現在の近鉄大阪線が平行して走って
おります。目測で100mぐらいかな。
昭和5年から同39年までの24年間は
2本の路線が並走してた事になります。
桔梗が丘駅はまだナイので、西原-蔵持-八丁…とオリジナル伊賀線
の方が駅が多く集落に近い、やはり廃止時には地元の反対もあったそう
ですよ。
元は軽便ですから、駅間が短く「大阪から伊勢への速達」を目的とする
参宮急行電鉄とは意味合いが違ったのでしょうね。
そんな途中駅の一つ、蔵持駅の跡地に近い場所です。
現在は市民センター(公民館?)にソノ名前が残ってますが、実際の
駅跡は道路を挟んだ向かい側の駐車場になるそうな。
…ぁ、ココは名張市であって、蔵持市という自治体は存在しません。
更に進むと、廃線跡に対してカナリ鋭角に横切る道路が出てきました。
地図を見るとワザワザ「初瀬街道」という名前が振ってありますから、
古い街道(初瀬=奈良県桜井市の長谷寺など)の一つでしょう。
…そして鋭角ながらも古道のほうを少し曲げて、角度を緩和してある
という事から見ても「間違いなく踏切跡」だという事になります。
こういうのを見つけるのが、廃線跡巡りの楽しさなんですよ。
廃線跡は県立名張高校の脇を通ります。
…調べると同校の前身となる農学校が開校したのが大正5年。敷地が
ココから動いてナイとすれば、伊賀線の開通より早い事になりますね。
と、開校時期を調べようとして検索サイトに「名張高校…」と打つと
「名張高校 できちゃった婚」という候補が出たのですが何だコレ?
…まぁナイ事もナイ話でしょうが、当事者には迷惑な残り方だよな。
その更に先、県道57号線との交差点の手前付近に、八丁駅があった
跡地があります。
左から不自然に寄ってくる別の道路と、ソレに挟まれた微妙に細長い
三角形の土地から、駅舎とホームの跡だった事が伺えました。
ココまで来たら終点の西名張駅まであと1.2kmです。
…あとは市街地に残る線路の痕跡を探していく感じになるでしょうか?
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No.4014 鉄道廃線跡を探る