新・駅長日誌

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達したため、更新を停止致しました。

天理軽便鉄道を探る ①

2017/12/24(Sun)

…私にとって初めての経験なのですが、実家の両親が所有する土地
買いたいという不動屋さんが現れました。
周辺の幾つかの田んぼをマトメて、宅地として転売するのだそうです。

両親ともカナリ高齢なので「お前も立ち会え」という事を言われまして
先日ハナシを聞いたんですが…

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見せられた住宅地図と、Googleの航空写真を比べるに、やはり形が結構
違うようなんです。…とすると坪数なんかも変わってこない?

素人目にもBさんのがCさんより広い事になってるのは不自然だし、
ウチの方がBさんより広い気がするのですが。

こういうのは登記されてる数字の通りに売ると損をする場合があるという
事で、ちゃんと業者さんに依頼して測量をし直した方がイイんでしょう。
…田舎なのでソレほどの価値はナイでしょうが、ソノ測量結果だけは
楽しみなクラ駅長です。

さて新たな報告です。地元奈良県廃線跡という事で、昭和20年まで
存在した近鉄法隆寺線…元の天理軽便鉄道の跡地を探ってきました。

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天理軽便鉄道1915年大正4年に、大阪方面から天理天理教の
聖地
)までの短絡を目的に、新法隆寺~天理で建設されました。

当時はまだ現在の近鉄線存在せず関西本線奈良へ出て桜井線
に乗り換えるという、カナリ遠回りになるルートだったんですよ。
…だから大阪から天理へ行きたい人の中には、法隆寺で降りて約9km
を歩く人
も居たそうな。

ソノ後1921年大正10年大阪電気軌道(現在の近鉄)橿原線
開通させると全線が大軌に買収され、現在も平端~天理近鉄天理線
として残っています。

…切り離された新法隆寺~平端は、以後も762mm非電化のまま法隆寺
として営業を続けておりましたが、戦時中不要不急路線として休止
され、そのまま復活しなかったという歴史なんですね。

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前置きが長くなりましたが、最初だからコノぐらいの説明は要りますな。
今回はJR大和路線法隆寺駅からスタートです。
元は地上駅舎2面3線国鉄スタイル駅でしたが、2007年に現在の
橋上駅舎に変わりました。

…始発の新法隆寺駅ココの駅前にあったと言う事ですが、勿論その
痕跡ありません

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まずはJRの線路に沿ってへ行きます。…目的地の近鉄平端駅まで
は、当時の営業キロ4.3kmレンタサイクルが妥当な距離であり、
法隆寺周辺観光地なのでお店も存在するのですが、戻ってくる必要
がありますから、ソレが面倒で歩く事にしました。

…ちょっとした溝の橋枕木の廃品だったする所がイイですね。

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暫くは新しい住宅地が続き、線路の痕跡はナイのですが、ソレが切れると
田んぼの中に畦道と化した道床が現れます。

…右はJRの電車内から見た風景ですが、段々と勾配を付けて高くなって
いくのが分かると思います。この先で富雄川を越えるからなんですね。

そんな感じで天理軽便鉄道跡地を探る旅が始まりました。
廃線時の線名は「近鉄法隆寺線」なのですが、上の方がイメージに近い
ので、今後もソレで表記する事にします。

→次回に続く



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No.3955 鉄道廃線跡を探る