国鉄2万キロ記念碑
2017/06/11(Sun)
…お絵描き会の時、大海あすか駅長が
コノような道具を使ってました。
ハンディ式のスキャナなんですって。
駅ノート絵師さんたちは、作品をデータ
として保存する場合に、カメラで撮るの
ではなくコレを使う…。
カメラだと紙の凹凸で影が出来たりする
から困るんだそうです。
…私にとってはもぅ「ハングマンの秘密兵器」の世界ですね。
どっかの悪の組織に忍び込んで、書類などを勝手にコピーしてくるアレ。
時代はどんどん進化してるもんだと再確認しましたクラ駅長です。
さて可部線廃止区間の旅ですが、安野駅の跡地を出発して更に奥地へと
進みます。
路線は概ね、最終的に広島市に達する太田川に沿って走ってたようで、
途中に何箇所かの鉄橋が存在しますが、…殆どがそのまま残されてる
感じです。解体するにもカネが掛かるから、荒れるに任せてるのか?
ナビに従って脇道へ入ります。恐らくココは廃線跡を転用した道路でしょう。
…コノ辺りに以前は坪野駅という駅が
あったのですが、現在は駅舎もホームも
残ってナイという事で、ソレを示す標識
だけが建っておりました。
その坪野駅の西方500m辺りの地点に
次の目的地があるのです。
Wikipediaで元の坪野駅の住所を調べ、
ストリートビューで周辺の道路を見て
大体の位置関係は調べて来ましたが。
ぁ、コレですね。向かって左側の、車が停まってる道路が廃線跡。
写ってませんが右側には集落内へ続く元からの道路があり、廃線後に
ソノ分岐点となった真ん中に、盛り土をして石碑が置かれています。
説明書きにもある通り、昭和29年に可部線
が加計まで延長された時に、国鉄の全営業
キロが2万キロを突破したと…ソレを記念
した石碑です。
元は線路脇にあったようですが、駅でなく
中途半端な駅間にあるという事は、ココが
その「丁度2万キロ」の地点なのでしょう。
私らの世代は昔から「チャレンジ2000km」
とかの刷り込みでしょうが「国鉄の営業キロは
全部で大体2万キロ」という感覚だったので、
何となくソレが懐かしくて、コレまた何となく
ですが、一度行ってみたい場所でした。
「ココに来るにはレンタカー一択だろう」というのも以前からの算段です。
石碑の大きさとしては小さなモノ…スーパーマーケットの買い物カゴを
伏せたような大きさかな?碑文を拡大すると右のような感じです。
裏面は風化が激しいので読みにくい
ですが、レールの断面のデザインと
ソノ下は各種サイトの古い写真から
見て「20000」と書かれてるようです。
…単純に「営業キロが2万キロにも
達した」というのは、ソノ規模の大きさ
だけを考えると、あたかもスゴい偉業
のように感じますが、果たしてソレは
ホントにめでたい事だったのか?
…現代の鉄ヲタの感覚からすると、些か疑問でもありますよね。
全てを国鉄が独自に開通させた2万キロではなく、地方の私鉄を強引
に買収した区間もあっただろうし、規模が大きくなりすぎたツケが後世に
回って、赤字も大きくなった。
またコノ頃から、鉄建公団が採算見込みのないローカル線を作りまくって
コレまた後世にツケを回す結果となった…。
色々と考えるとキリがナイのですが、取り敢えずは見たかったモノが
見れて満足した瞬間でもありました。…相変わらずイイお天気ですし。
再びレンタカーに乗り、次の目的地である加計駅跡地を目指します。
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
No.3759 鉄道廃線跡を探る