貨物鉄道博物館 ③
2017/02/13(Mon)
昨日は毎度恒例になったヨシヨシ会に参加してきましたクラ駅長です。
さっちょ(サツキちゃん)が「たまには大阪へ行きたい」というので、
珍しく松井さんにも大阪まで来て頂きまして、大阪見物と焼肉宴会。
…大阪見物と行っても、彼女は観光地には全く興味がなく、大阪にしか
ないお店(主に服屋さん)とゲーセン巡りという、カナリ変わったツアー
のようです。
で、我々が服屋さんへついて行っても仕方ナイので、待ち時間は次回の
社員旅行についての検討会を喧々諤々と…。
ご参加の皆様、お疲れ様&ありがとうございました。
さて貨物鉄道博物館ですが、続いても
館内の展示物を見て行きます。
…まずは鉄道における貨物輸送に
関する貴重な文献資料など?
こう云うのって、静かな環境で
じっくり腰を据えて読みたいモノ
ではありますが、月に1度の開館で
子供さんがテンション上げまくってる
場所では些か無理かも知れません。
…本棚の下にある会社名のような
プレートは、私有貨車に付いてたモノ
でしょう。
例えば国鉄時代、タンク車などは
何万両とあるうちの99%が私有貨車
でした。外の4両も然り。
現代だとJR貨物じゃなく運送会社の
ロゴが入ったコンテナがソレに当たり
ますかね?
写真は撮れませんでしたが、この手のタンク車用と思しき社名プレートが、
壁一面に大量に保管されてましたよ。
そして旅客列車の乗車券に相当するのが、貨車の「車票」というモノです。
コレに従って操車場の係員が、行先や着駅の順番ごとに貨車を連結
するんですって。日付や使う貨車の車番まで入ってますから、ソノ都度
書いてたもんでしょう。
私が辛うじて知ってる(グッズ屋などで売られてる)現代のモノは印刷
だったりスタンプだったりしましたが、コレは手書きで、しかも無駄に達筆
ですね。…各地の貨物駅に、名もない名人が居たのかも知れません。
私が毎度、つい「可動するかどうか?」を確認
してしまう自動連結器ですが、内部の構造が
分かるカットモデルというのは初めて見たぞ。
コレは梅田の貨物駅を見学に行った時、実際
にやらせて頂きました。
車両が「現役の本物である」という事で、普段
以上に重く感じたのですが。
大正時代に、ソレまでの「ねじ式」に代わって
発明された画期的なモノで、全国の車両を
たった一日で全て取り換えたという歴史も
スゴい記録だと思います。
右は混成の貨物列車の編成の一例?
北海道ですね。
貨物は自分で列車を乗り換える事が
出来ないので、このように各地のヤード
を回りつつ目的地を目指すんですが…
ハッキ言えば効率の悪いハナシです。
…混んでくると到着日も確定出来ず、
荷主に嫌われる原因となりました。
そして国鉄末期の労働紛争の時代、ストやら順法闘争での遅延に嫌気
が差し、ソレを機会にトラック輸送に切り替えた荷主も多かったそうな。
…まず時代的に「ソレしか無かった」から始まり、色んな紆余曲折と
試行錯誤を繰り返し、現代の鉄道貨物はコンテナ輸送と専用列車に
よる一括輸送だけが残ってる状況ですが、それぞれの時代の人たちの
苦労を忘れてはいけませんね。
では続いて、屋外にある他の車両も見に行きましょう。
ココの線路が元々、倉庫から貨物を列車に積む側線だった部分です。
先頭に立つ機関車は1898年製のB4型。明治時代のテンダ車の標準的
なタイプだと思われます…ピーコックとかネルソンとか。明治期は
東海道本線などの幹線も、コレぐらいの機関車でやってたイメージ。
続く無蓋車にも、ちゃんと車票が入ってますね。
先ほど見た解説の通りに読むと…常滑から丹生川まで、ト246(この車)
を使って土管を7トン運ぶ。という指示になりますか。…ホントにそんな
仕事があったのかどうかは謎です。
今まで(私は)あまり気にしなかった貨物列車の世界ですが、なかなか
奥が深くて面白いもんじゃないですか。
※→次回に続く
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
さっちょ(サツキちゃん)が「たまには大阪へ行きたい」というので、
珍しく松井さんにも大阪まで来て頂きまして、大阪見物と焼肉宴会。
…大阪見物と行っても、彼女は観光地には全く興味がなく、大阪にしか
ないお店(主に服屋さん)とゲーセン巡りという、カナリ変わったツアー
のようです。
で、我々が服屋さんへついて行っても仕方ナイので、待ち時間は次回の
社員旅行についての検討会を喧々諤々と…。
ご参加の皆様、お疲れ様&ありがとうございました。
さて貨物鉄道博物館ですが、続いても
館内の展示物を見て行きます。
…まずは鉄道における貨物輸送に
関する貴重な文献資料など?
こう云うのって、静かな環境で
じっくり腰を据えて読みたいモノ
ではありますが、月に1度の開館で
子供さんがテンション上げまくってる
場所では些か無理かも知れません。
…本棚の下にある会社名のような
プレートは、私有貨車に付いてたモノ
でしょう。
例えば国鉄時代、タンク車などは
何万両とあるうちの99%が私有貨車
でした。外の4両も然り。
現代だとJR貨物じゃなく運送会社の
ロゴが入ったコンテナがソレに当たり
ますかね?
写真は撮れませんでしたが、この手のタンク車用と思しき社名プレートが、
壁一面に大量に保管されてましたよ。
そして旅客列車の乗車券に相当するのが、貨車の「車票」というモノです。
コレに従って操車場の係員が、行先や着駅の順番ごとに貨車を連結
するんですって。日付や使う貨車の車番まで入ってますから、ソノ都度
書いてたもんでしょう。
私が辛うじて知ってる(グッズ屋などで売られてる)現代のモノは印刷
だったりスタンプだったりしましたが、コレは手書きで、しかも無駄に達筆
ですね。…各地の貨物駅に、名もない名人が居たのかも知れません。
私が毎度、つい「可動するかどうか?」を確認
してしまう自動連結器ですが、内部の構造が
分かるカットモデルというのは初めて見たぞ。
コレは梅田の貨物駅を見学に行った時、実際
にやらせて頂きました。
車両が「現役の本物である」という事で、普段
以上に重く感じたのですが。
大正時代に、ソレまでの「ねじ式」に代わって
発明された画期的なモノで、全国の車両を
たった一日で全て取り換えたという歴史も
スゴい記録だと思います。
右は混成の貨物列車の編成の一例?
北海道ですね。
貨物は自分で列車を乗り換える事が
出来ないので、このように各地のヤード
を回りつつ目的地を目指すんですが…
ハッキ言えば効率の悪いハナシです。
…混んでくると到着日も確定出来ず、
荷主に嫌われる原因となりました。
そして国鉄末期の労働紛争の時代、ストやら順法闘争での遅延に嫌気
が差し、ソレを機会にトラック輸送に切り替えた荷主も多かったそうな。
…まず時代的に「ソレしか無かった」から始まり、色んな紆余曲折と
試行錯誤を繰り返し、現代の鉄道貨物はコンテナ輸送と専用列車に
よる一括輸送だけが残ってる状況ですが、それぞれの時代の人たちの
苦労を忘れてはいけませんね。
では続いて、屋外にある他の車両も見に行きましょう。
ココの線路が元々、倉庫から貨物を列車に積む側線だった部分です。
先頭に立つ機関車は1898年製のB4型。明治時代のテンダ車の標準的
なタイプだと思われます…ピーコックとかネルソンとか。明治期は
東海道本線などの幹線も、コレぐらいの機関車でやってたイメージ。
続く無蓋車にも、ちゃんと車票が入ってますね。
先ほど見た解説の通りに読むと…常滑から丹生川まで、ト246(この車)
を使って土管を7トン運ぶ。という指示になりますか。…ホントにそんな
仕事があったのかどうかは謎です。
今まで(私は)あまり気にしなかった貨物列車の世界ですが、なかなか
奥が深くて面白いもんじゃないですか。
※→次回に続く
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
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