奈良ホテルを探る ①
2016/02/27(Sat)
「伊予灘ものがたり」~「四国鉄道文化館」
と続いた四国ネタでしたが、 最後に1つ、
帰りの新幹線で頂いた駅弁がコレです。
…岡山名物の「祭すし」ですね。
何故か今までノーマークでした。
コレクションの数で言うと、中国・四国が
少し弱い気がするので、以後はソノ方面
を強化してみようと思うクラ駅長です。
さて新たなネタです。…今日から社員旅行という事で、終ったらネタが
それ一辺倒になる事は間違いなく、続いての愛知県をやると中途半端に
なりそうなので、短いのを挟む事にしましょう。
先日、会社の研修で奈良の最古参にして
最高級のホテル、奈良ホテルの内部を
見学させて頂く機会がありました。
…日々の仕事では、この玄関前までなら
1日に2回ぐらいは必ず来る所です。
「でも皆さん、中に入る機会は滅多に
ナイでしょ?」…という事で、ホテル側
から提案して貰ったような事らしいです。
私は20年ほど前、親戚の結婚式で一度来ましたが、ソレでも全部は
知りませんし、折角の機会ですから見聞を広めさせて頂きましょう。
…先に大雑把な感想を言いますと「こんなに鉄分の濃いホテルだとは
知らなかった。」という感じでしょうか?
奈良ホテルの開業は1909(明治42)年。本館は開業当時の建物です。
当時は日本が日露戦争に勝利し、外国人の観光客が増えてきた時期
でもあったため、「関西にも迎賓館の機能を持つ宿泊施設を」という
事で、奈良市や関西鉄道(国鉄関西本線の元となった私鉄)の仕切り
で建設されました。
設計者は、社長が大好きな辰野の金ちゃん
です。…こんな顔してたのか。
最近、仙台の歩王さんも金ちゃんファンだと
いう事が分かりましたので(一時、奈良ホテル
に実際に泊まりに来るというハナシもあった)、
「いーだろー」的に先行案内してしまおうかと。
上記のように、発端に鉄道会社が絡んでる
ので、一貫して鉄道院→鉄道省→国鉄にも
経営権に一部があるようで、現在でも建物の
所有者はJR西日本なんですよ。
…株式も現在はJR西日本と近鉄が半々ずつ持ってるという構造です。
そんな感じで、係の人に案内されて早速中に入ります。
ちなみに写真には写らないようにしましたが、我々は会社単位なので
30人ぐらいの団体です。…個人でイキナリ行っても見学出来るか
どうかは不明ですので、ソノ辺はご了承下さい。
奈良の風景に調和するようにと、外観は和風な建物ですが、内装は
多くがヨーロピアンスタイルという事で、ロビーがこんな感じ。
正面の階段を上がると、吹き抜けになったテラスに出ます。
…階段の手すりは、一番手前の曲がってる部分も含めて、1本の木
から削りだしてあるそうな。…カナリ贅沢な使い方ですね。
踊り場にある銅鑼は昔、食事時間の合図に使われていたモノですって。
テラスに上がると、吹き抜けからロビーとフロントが見下ろせます。
欄干にある擬宝珠は、元は真鍮製だったそうですが、戦時中の金属
供出で取り外され、代わりに陶器のモノに付け替えられたそうですよ。
フロント内にある、無駄にアンティークな金庫は今でも現役。
…約50kgの重さだそうな。
「西の迎賓館」ですから、皇族の皆さんが奈良に来たら、基本的に
宿泊はココです。 …コレ見よがしに写真がズラーっとありますね。
両陛下もお泊りになる特別室も、後で見せて頂く事になってますよ。
ソノ他にも、世界各国の有名人が
開業以来数多く泊まってるという
事で 、廊下に年表がありました。
…細かい所は、ウィキペディアなど
で各自調べて下さい。
私も見たんですが、皇室はもぅ「皇族
関係者多数」ってマトメて書いてある
のがスゴいわ。…珍しくナイの。
…要するに、奈良には神武天皇を祀ってある
(とされている)神武天皇陵と橿原神宮が
ありますから、皇族の皆さんも結婚報告とか
何だとか、節目節目によく来るんです。
こんな写真がありましたね。
今上陛下のご成婚の時のようですが…
当時はお召し列車のシェアも殆どが国鉄!
最寄の畝傍駅には貴賓室も設けられています。
今はもぅ、殆どが近鉄で京都から橿原神宮前
まで直行かな?…「なごみ」が東京から畝傍
まで走ってきたら大笑いなのですが。
館内の一角にある結婚式場。新しくて
神前式のよくあるタイプでした。
…割とイイお家柄で偏差値も高く、それ
故に結婚が遅くなっちゃった皆さん
が使う(私の勝手な)イメージです。
私が参列した親戚(従姉)もお医者さん
の娘さんでしたね。
社長、我々もココにしましょう(猫殴)。
…まぁソレは置いといて、続いては客室などを見せて頂きますよ。
うーわ、今回めっちゃ長くなったな。
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No.3289 駅長が見た風景