新・駅長日誌

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近鉄伊賀線で西名張へ? ⑩

2018/02/22(Thu)

賞味期限が2014年小麦粉が、あと1回分残ってましたので、まずは
再びお好み焼きを作ってみましたクラ駅長です。

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コレまた何故か年末からあるを、1cm角に刻んで入れます。
お好み焼きにしては矢鱈とイイ感じですが、全部使うワケではなく
後日の焼肉用のうちから一部使用。…コレで小麦粉使い切りました

更に残った青海苔厚焼き玉子に入れてソースとマヨネーズで。

海苔が入るから塩を多めにしてゴマ油で調味すると、韓国海苔っぽい
にもなりますね。コレは酒のアテに行ける一品になりましたよ。

さて伊賀線廃線跡ですが、八丁駅跡地を出ました。終点まであと少し

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所で八丁駅跡地の近くの道路で、ケッタイな条件のある駐車禁止標識
見つけました。…道路の左右と言うか両端?が、月替わり駐車禁止
なったりならなかったり。コレにはどう言う理由があるのでしょう?

ないアタマで考えてみたのですが、先に神社があるのでソノお祭り
とか縁日とか、露店を置いたり置かなかったり…そんな理由?

他にもこんな所があるんですか?少なくとも40年以上生きてて初めて
見ました。詳細を知ってる方があれば、また教えて下さい

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先の大きな交差点県道57号線を越えると、集落の裏手のような所を
通ります。…同じ日なのですが照ったり曇ったりなので光線具合に差が
ありますね。車も通れない事はナイ感じですが、専ら犬の散歩用かな。

右の区間なんか、ホントに小さな古い電車似合いそうな景色でしょ。

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廃線跡の脇に立つアパートなどは、当然に新しい建物なのですが、
基礎の部分当時のモノに近いイメージと言いますか、前半の山間部
で見たモノと
同じ種類のに見えました。

そして風化して全く読めませんが、鉄道時代のモノと思しき境界線の
が残っています。恐らく近鉄の社紋が入ってたのでしょう。

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その先は公園の敷地に入ってしまうので、廃線跡はココで途切れてます
やはり「市民センター」と称する公民館状の施設ですが、町中なので
蔵持のソレより大きいですね

すぐが県道57号線なので、ココは迂回して先へ進みましょうか。



※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。

No.4015 鉄道廃線跡を探る

近鉄伊賀線で西名張へ? ⑨

2018/02/21(Wed)

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たまたま入った飲み屋で、たまたま座った
カウンターの目の前にあった焼酎のボトル
なんですが、農家の嫁?

亡くなった小説家の中島らも氏が、何かの著作
の中で昔のソレを指して「オ○コつき労働力」
と表現してたのを思い出し、何とも憂鬱な気分
になりましたクラ駅長です。

どうも「虐げられてる存在」というか、プラス
イメージ湧かないんですよ。…少なくとも
「美味そう、飲んでみたい!」とは思いません

そんな些細な事覚えてる方が変なのかも知れないのですが、何だかな

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さて伊賀線廃線跡を歩く旅ですが、
桔梗が丘の住宅地を抜けて再び、
旧来の村落を横切る所に来ました。

進行方向の左手、方角で言うと南側
現在の近鉄大阪線が平行して走って
おります。目測で100mぐらいかな。

昭和5年から同39年までの24年間
2本の路線が並走してた事になります。

桔梗が丘駅まだナイので、西原-蔵持-八丁…とオリジナル伊賀線
の方が駅が多く集落に近い、やはり廃止時には地元の反対もあったそう
ですよ。

元は軽便ですから、駅間が短く「大阪から伊勢への速達」を目的とする
参宮急行電鉄とは意味合いが違ったのでしょうね。

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そんな途中駅の一つ、蔵持駅跡地に近い場所です。
現在は市民センター(公民館?)にソノ名前が残ってますが、実際の
駅跡は道路を挟んだ向かい側の駐車場になるそうな。

…ぁ、ココは名張市であって、蔵持市という自治体は存在しません

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更に進むと、廃線跡に対してカナリ鋭角に横切る道路が出てきました。

地図を見るとワザワザ「初瀬街道」という名前が振ってありますから、
古い街道初瀬奈良県桜井市長谷寺など)の一つでしょう。

…そして鋭角ながらも古道のほうを少し曲げて、角度を緩和してある
という事から見ても間違いなく踏切跡」だという事になります。

こういうのを見つけるのが、廃線跡巡り楽しさなんですよ。

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廃線跡は県立名張高校の脇を通ります。
…調べると同校の前身となる農学校開校したのが大正5年。敷地が
ココから動いてナイとすれば、伊賀線の開通より早い事になりますね。

と、開校時期を調べようとして検索サイト「名張高校…」と打つと
「名張高校 できちゃった婚という候補が出たのですが何だコレ?

…まぁナイ事もナイ話でしょうが、当事者には迷惑な残り方だよな。

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その更に先、県道57号線との交差点の手前付近に、八丁駅があった
跡地があります。

左から不自然に寄ってくる別の道路と、ソレに挟まれた微妙に細長い
三角形の土地から、駅舎とホームの跡だった事が伺えました。

ココまで来たら終点の西名張駅まであと1.2kmです。
…あとは市街地に残る線路の痕跡を探していく感じになるでしょうか?



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No.4014 鉄道廃線跡を探る

近鉄伊賀線で西名張へ? ⑧

2018/02/20(Tue)

20180220a.JPG四十九日の供物の中に、またリンゴ
がありましたので、巨大なのを3個
貰ってきましたクラ駅長です。

そのまま食べるのも芸がナイので、
貧乏料理カテゴリーとして初の試み
としてお菓子作りに挑戦するんですが、
ちょっと遊びで飾り切りにしてみます。

飲食店勤務の時、デザート用に覚えた
と言うかヤラされたんですが。

今では実用する機会ナイ、全く無駄な技術ですね。そういうのは皆さん
にもありますでしょうか?

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さて伊賀線廃線跡です。伊賀神戸
からスタート
して約半分が過ぎた所で
そろそろ名張の市街地に近づいて
きた感じなんですが…

 歩いてる道路の左側に、現在の近鉄
大阪線
が平行するようになりました。
…実際にはフェンスの右側に道路が
あり、本線の線路に沿って保線用の
引込線がありますね。

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伊賀神戸美旗より立派な橋上駅舎桔梗が丘駅です。
…ココだけは開通当初からの駅ではなく、コノ付近が宅地開発された
昭和中期に増設された駅です。

詳しく調べると、伊賀線当該区間の廃止と同じ昭和39年10月1日
開業なんですね。何とも象徴的なお話かと思いますよ。

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駅の北西側の入口から陸橋を登ると、さっき見えた保線基地が一望
出来ます。この土地が恐らく、元は丸々伊賀線の軌道だった事が容易
に推測出来る形でした。

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保線基地があるので少し迂回する
感じで先へ進みます。

コノ付近が宅地開発された昭和39年
頃ってのは、まさに高度経済成長期
でしょ?
桔梗が丘駅キロ程は起点の大阪
上本町から丁度70.0km
…「そんな所まで通勤圏が拡大した
という好例になるのかも知れません。

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暫く行った所で小さな川を越えるのですが、この橋鉄道時代の
ガーター橋をそのまま再利用した物件。
伊賀線廃線区間としては、数少ない現存遺構の一つなんですよ。

国鉄モノなら分かりやすい位置に銘板として竣工年月日などが
記されてるのですが、コレで確認出来たのは最近になって塗装を
塗り直した記載だけでした。

桔梗が丘の住宅地コノ辺りまでで、再び旧来の村落を縫うような
感じで、廃線跡が続いて行きます。



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No.4013 鉄道廃線跡を探る