新・駅長日誌

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達したため、更新を停止致しました。

愛宕山鉄道を探る ③

2018/06/20(Wed)

本日は北条鉄道関係の行事ではナイのですが、兵庫県加古川市より
お送りしておりますクラ駅長です。

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…遂に私も駅ノート業界に参入しようと言う事で、まずはいつもお世話
になってる
初心者向けだとも思える同社の各駅から始める事にした
ワケで、久し振りにプライベートとして乗り鉄にきました。

昨日で3駅今日が4駅コンプリートとなる予定(天候による)です。
詳細はまた後日やりますが今日は「人物が苦手なのでをかく」とだけ
説明しておく事にしましょう。

さて愛宕山鉄道を探る旅ですが鉄道時代からの橋梁が残ってると聞き
ましたので、続いてはココから見て行く事に致します。

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道路の橋としては「鳥居本橋」という名前のようです。
勿論現在は、自動車用としてコンクリート製のモノに架け替えられて
おりますが、下の橋台や築堤など鉄道時代のままだそうな。

下は川ではなく旧街道から枝分かれする脇道が通っております。
ココをくぐると旧街道の方へ出れるらしいので、車を駐車場に置いて、
少し歩いてみる事にしましょうか。

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…この付近の旧街道は、いわゆる「風致地区」という事なのか、昔の
街並み
保存又は復元した感じの建物で統一されており、その中に
「街並み保存館」
という施設がありました。

本来はソノ名の通り、建物の構造や町の歴史を紹介する施設らしいの
ですが、愛宕山鉄道に関する展示もあるという事です(入場は無料)。

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当時の貴重なモノと思しき絵図や写真などがありますね。絵図は観光
パンフレットでしょうから、誇張して描いてあるとは言え、ケーブル線
愛宕山へ登る重要な観光路線であった事が伺えます。

電車木造ですがボギー車のようで、意外にも複線です(末期は金属
供出
のため単線化)。…期間が15年と短かった事から、線路も車両
他の路線に転用されたそうな。

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そして施設内には、この周辺鳥居本という地区)に、線路が存在した
の様子を復元した割と大きなジオラマ模型も展示されておりました。

…コレは一見の価値だと思いますので、続けて紹介する事にしますよ。

→次回に続く



※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。

No.4133 鉄道廃線跡を探る

愛宕山鉄道を探る ②

2018/06/19(Tue)

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大阪方面
から車で帰ってきた場合、
阪奈道路の高架を降りて最初に「奈良
に帰ったな」と実感出来るのが、この
平城宮跡の朱雀門でしょう。
Twitterでは「我が家の正面玄関前」
というネタにする事もありますが。

復元されてもう30年近くになると思うん
ですが、当時意外にもアニメのネタ
なってるんですよ。

「カルラ舞う!奈良怨霊絵巻」というやつで、コレを復元しちゃったために
封じれていた古代の悪霊まで蘇ってしまうとか何とか…。

すぐ横を走る近鉄線は、初期塗装のビスタカーⅢ世が出てきます。

ぇ、知らない?観光の仕事の時、アニメを理解しそうと見た若い人だと
興福寺の八部衆にも居る迦楼羅神の像と併せてネタにする事があるの
ですが、通じた事がないクラ駅長です。

同世代のアニメおたくでないと無理なのか?

さて愛宕山鉄道を探る旅です。先程の高架道路山陰本線の線路を
越え、丸太町通りを横切ります。

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廃線跡の殆どが、この府道29号線として道路転換されてる感じでしょう
か? 片側1車線の有り触れた道路なので、コレが廃線跡だと知る人も
今では少ない筈。

…私も何度か通った道ですが、 意識して見たのは初めてでしたよ。

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程なくして嵯峨釈迦堂前というバス停が出てきます。鉄道線だった当時
はコノ付近に釈迦堂という駅と車庫があったそうな。

「釈迦堂」ってから小さな堂宇かと思ったら、コレは清凉寺というカナリ
大きなお寺の事であると。

…更に行くと時代劇のロケ地で有名な大覚寺などもあり、愛宕山鉄道
山手へのレジャー客だけでなく、途中の社寺への参詣客の需要も
担っていたんでしょう。

ちなみに嵐山からココまでの間に嵯峨西という駅もあったらしいの
ですが、どの資料にも確たる場所の分かるモノはありませんでした

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更に進むと、段々と洛北の山脈が見え始め、登り坂になっていきます。

小高い丘の脇を通る区間は進行方向の右側が石垣になってますが、
コレは鉄道線時代から存在するものだと言う事。…そう言われれば
この手の築堤
というのは他所の路線でも割と見かける感じかな。

愛宕山鉄道京阪電鉄京都電燈京都市電の前身?)の共同出資
会社
だったので、開業当初から電車による運転でした。

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…なので随所に木製の架線柱が、根元だけですが残っています

そして線路の左側の一段低い所に旧街道が通っており、この付近
平行した地点にあるのが化野(あだしの)念仏寺です。

「化野」という、他所者には耳慣れない名称ですが、元は平安時代から
続く墓地があった所で、現在も無縁仏や水子の供養などが行われる
お寺として知られておりますね。

…今回はお寺がメインではありませんので、スルーして鉄道の遺構
中心に見て行きます。 都合のいい資料館が近くにあるという事なので、
ソレにも立ち寄ってみましょう

→次回に続く



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No.4132 鉄道廃線跡を探る

愛宕山鉄道を探る ①

2018/06/18(Mon)

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ワゴン車には大抵、後方の視界を補う
凸面鏡が付いてるワケですが、偶々
前を走ってたハイエースのソレがコレ。

何の意味があって裏返してある
でしょう?
要らんと思ったら外せばイイし(すごく
便利
なモノだけど)、後続車にオノレの
姿を確認させてどうする?

ハイエースに乗ってる人と言うのは、私たちは価値観の違う人が多い
ようで、その「発見器」としては有効ですが、出来るだけ近づかない方が
イイ
と再確認しましたクラ駅長です。

さて新たな報告です。播磨下里関係の行事が連続するので「もどき号」
間合い運用的な使い方で、京都廃線跡を1つ、見に行ってきました。

嵐電嵐山駅からへ、嵯峨野大覚寺念仏寺を経て愛宕山へ至る
愛宕山鉄道の跡地です。

鉄道が存在したのは戦前の事で、嵐山から清滝までの鉄道線が3.4km
ソコから愛宕山登るケーブルカーが2.0kmの路線でした。

京都の愛宕山ってと、洛北にあって山頂の愛宕神社火の神様として
信仰されてるんですが、いまいちマイナーです。

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しかし戦前の愛宕山はホテル遊園地
スキー場などのあるリゾート地として
賑わってたようなんですね。

…ソレが例によって、戦時中の鉄供出
に引っ掛かり、昭和19年不要不急
路線
として休止
そのまま復活する事なく廃線となって、
現在は鉄道線は殆どの区間が道路に
転換
されています。

そして観光施設閉鎖されたので、現在は登山客が神社を目指して
徒歩で登る程度。…という栄枯盛衰な所なのですが。

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今回、色々考えた挙句に朝の5時から
出発という無駄に早起きなスタートと
なりました。

当日は「午後から雨」という天気予報
になっており、早くしないとヤバい状況
であったのと、丁度1か月後にある観光
列車に乗る計画を立ててましたので、
当日の10時にドコかの駅で「10時打ち」
をしようという目論見があったんです。

結果的に言うと色々と上手く行きました

京都なんてのは無駄に観光客が多いので、早朝の方が運転しやすい
廃線跡巡りの時はイキナリ止まったりするので)し、写真も撮りやすい
尚且つ曇りだと光線具合が一定してるから、陽の傾きを考えずに行ける
所から取材出来るのです。

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そんな感じで嵐電嵐山駅からスタート。…駅を出てすぐ、県道の高架
線路を跨いでるワケですが、コレが途中から廃線跡なんですって。

駅舎の正面から見て一番左のホームが元は愛宕山行きだったそうで、
線路はココから大きく左にカーブしてました(実際に見たワケじゃないが)。

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駅を出て狭い路地を、ソレと思しき方向へ進んでみましょう。
程なくしてJR山陰本線の線路に当たります。

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鉄道ってのは当然、先に出来た方が地面を走り、後からの方高架
だったり地下だったり、不自然な方法で横切る事になるので、愛宕山
鉄道があった頃は築堤で山陰本線を越えてたそうな。

ちなみに山陰本線ココの開業明治32年愛宕山鉄道昭和4年
だそうな。…では15年間しか存在しなかったという事ですか?

高架道路に乗れる地点まで引き返し、車でソレを越えて清滝方面へと
向かいます。
ココから概ね、愛宕山鉄道の旅のスタートとなりますでしょうか?

→次回に続く



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No.4131 鉄道廃線跡を探る