新・駅長日誌

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近鉄伊賀線で西名張へ? ⑪

2018/02/23(Fri)

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…人生で何度目になるか不明ですが
またしてもダイエットを決意しましたので
ココ最近は炭水化物1日当たり

米1合または麺1玉まで」

という事に決めて生活しております
クラ駅長です。
…但し「旅行やイベントの日は除く」
という中途半端な条件が付きますよ。

中でも豚汁の余りで作った煮込みうどんがお気に入りですね。コレは
出勤前に、ブランチ(笑)として頂きます。七味の入れ物長野電鉄だ。

さて伊賀線廃線跡ですが、いよいよ今回で最終回。間もなく終点の
西名張駅に到着です。…とは言っても跡地もあるかどうか?

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名張市民センターのある朝日公園迂回して、県道57号線を歩いて
おりますと、道が不自然に曲がってる箇所が出てきました(↓)

例えば旧道のすぐ近くにバイパス的な新道を作った場合、ソノ間の空間
合わせて取り込んでしまい、不自然道路の幅が広くなってるような
所がありますが、コレはその鉄道版だと思われます。

ココから線路街道斜めに横切って西名張駅に至ってたのでしょう。
全くの推測ですが50年以上前なら、道幅もそんなに広くなく車の量
少なかったと思われ、広い踏切でも支障は少なかったのかなと。

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この交差点を左折すると現在の名張駅に至ります。距離は800mですか。

戦前コノ付近の方が町の中心街であり、Wikipediaの記述でも大阪線
の方が「市街地を迂回して建設された」ような事が書いてありました。
…勿論、元はこっちの方が「名張駅」を名乗ってたんですよ。

時代とともに、特に鉄道駅が出来た所の回りが、後から栄えて行くのは
よくある例ですよね。奈良だってそんな感じです。

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その西名張駅があった地点は恐らくコノ辺
鉄道駅…しかも車庫を有する終点の駅だった面影は全くありません

…跡地に建つ郵便局に、辛うじてソノ名前が見られますが、コレとて
単なる偶然かも知れないし、高度成長期以前に役目を終えた鉄道の
儚さが感じられました。
今だったら公園にでもなるか、最低でもモニュメントぐらい残すでしょ。

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ともあれ現在の名張駅まで歩いて、今回の旅終了となります。
正確には分かりませんが、この東口駅舎昭和レトロ木造建築で、
恐らく開業当時からのモノでしょう。

現在は伊勢奥津止まってるJR名松線がココまで来てたら、また違った
発展の仕方だったかも知れませんね。

寒かったので軍手持ってきて正解の旅でした。前半で藪をかき分け
たり
フェンスを乗り越えたりしたし。

提げてるコンビニ袋は、郵便局の先にあったイオンで買ったお好み焼き
です。…お好み焼き屋ビールを置いてナイとはどういう事か?

さて今日から木村鉄道では社員旅行ですが、私は今から松江まで自走
して
明日の合流となります。…もぅ全部は付き合いきれませんので。



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No.4016 鉄道廃線跡を探る