新・駅長日誌

このブログは画像容量が限界に
達したため、更新を停止致しました。

天理軽便鉄道を探る ⑥

2017/12/29(Fri)

…私も自分の家族葬儀というのは、祖母が亡くなって以来30年ぶり
の事だったのですが、昔は自宅でやってた色々な事(田舎は特に)も、
現在は葬儀会館を借りて行うのが主流になってますでしょ?

色々と便利な方向に変わってて、少なからず驚きましたクラ駅長です。

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通夜から告別式にかけての間は、亡骸の番を兼ねて親族が近くに
付き添うのが一般的でしょうが、式場親族控室上手く隣接する構造
になってまして上のように壁が開く仕掛けなんですね。

係の人が棺桶を移動してくれるので、控室側からも対面が出来ると言うか
コレ最初に考えたのは誰なんでしょう。上手いアイディアだと思いました。

ちなみに、私と従兄さん2名(父の兄の息子)の3人で泊まりました。
イトコ層の中で私が一番の年下なので、彼らは私よりも父との付き合いが
長く
色々な思い出話を聞かせて貰えましたよ。

さて天理軽便鉄道ですが、引き続いて安堵町歴史民俗資料館で、ソレに
関する
展示品を見学しております。

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現役時に安堵町存在したという、安堵駅の復元模型がありました。
前回に出した画像の通りホントに小さな駅と言うか、ほぼ停留所だな。

資料写真全てモノクロなので、車両の色全く分からなかった
ですが、コレで見る限りモスグリーンな感じです。

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左右のレール配線が為されてから「走るのか?」と思って調べた所、
この模型を作成した団体の方による運転会が定期的に開かれるそうな。

…しかし距離がコノ程度ですから、ほんの数秒で往復する感じでしょう?

と、先程見て来た木戸池の築堤を走る機関車列車の模型もあります。
こちらは動かないようですが。…さぞ、のどかな風景だっただろうと…。

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そんな感じで歴史民俗資料館を後にして、更にへ歩きます。…道路脇
の空き地に、何やら人が並んで座ってる所があって、近くで見たらカカシ
の集団の背後に「大和安堵」という駅名票のようなモノがありました。

若桜鉄道同じ発想ですね。しかし正確な安堵駅の跡地とは場所が
違う
ようです。「大和安堵」だから「武蔵浦和」みたいな別の駅なのか?

両隣が額田部新法隆寺だから、コレでいいのか。所で池崎って誰?

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…若干の謎が増えた気がしますが、そのまま歩くと、に行きあたって
道が無くなりました。地図だと線路跡このまま直進する筈なんですが。

仕方がナイので今ある道迂回して、西名阪自動車道の側道に出ます。
…最近流行りの無人スマートIC大和まほろばインターチェンジがある
辺りまでが廃線跡のようですね。

西名阪自動車道の開通は昭和44年天理軽便鉄道の営業時期とは勿論
被りません

今までとは違った感じの風景になりましたが、更に東へと歩きます。

→次回に続く



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No.3960 鉄道廃線跡を探る