新・駅長日誌

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達したため、更新を停止致しました。

天理軽便鉄道を探る ⑤

2017/12/28(Thu)

お蔭様を持ちまして亡父の通夜~告別式~初七日無事に終了
致しましたクラ駅長です。

20171228i.JPG私は故人の長男なので、喪主という事になる
のですが、父親が亡くなったとい事実よりも
葬儀全般無事に進行させる責任」という
事への思いの方が強く、一向に悲しくナイ
と言うか、ほぼスタッフ目線で参加しており
ました(ちなみに木村鉄道のステージイベント
は、殆ど警備員目線で見てる)。

地域の皆さん親戚の方々(殊にイトコさん達
のお蔭で、大きなミスやトラブルもなく責任を
果たす事が出来ました
よ。

…はい、繰り返しになりますが、親が亡くなる
事に関しては安堵感の方が強いのです。

20171228j.JPG
そしてヨシヨシ会の皆さんから、丁重
にも弔電を頂きました事を、コノ場を
お借りしてご紹介させて頂きます。

…流石にそんな団体名付いてません
けどね。ぇ、当たり前ですか?

ホントにありがとうございました。
コレにて「お出かけ解禁」になります
ので、また誘って頂ければ幸いです。

さて天理軽便鉄道ですが、廃線跡から少し離れて、安堵町歴史民俗
資料館に入っております。ココで暫くソレ関係の展示を見て行きましょう。

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古い時代の事ですしソレ専門の博物館でもナイので、実物車両などの
大きな展示物ありません。…写真や模型がメインですね。
まぁ展示スペースとて元は農家の土蔵ですから、この程度が限界か?

Wikipediaによると、開業当初タンク機関車が3両客車と貨車が
10両ずつ在籍してたそうな。

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左が始発新法隆寺駅。右が先程通って来た役場近くにあったという
安堵駅の写真だそうで…それぞれ「昭和16年頃」と注釈がありますね。

軽便だからホントに簡素と言うか、現代の歩道縁石より少し高い程度
のホームなのですが…コレでも近鉄の駅!という違和感満載ですね。

現在、奈良市の中心部から法隆寺へは、当然にJR一本で行けるワケ
ですが、近鉄だと筒井駅でバスに乗り換えるのが妥当。車内放送でも
ソノように案内されるのですが、ココに鉄道が1本あれば、アクセス案内
カナリ変わってたと思います。…まぁ高規格化はするだろうけど。

20171228h.JPG 20171228g.JPG

軽便のお約束である「線路幅の比較」と、コレが一番大きいと思われる
勾配票が残っておりました。…軽便で10‰ってと、結構キツいかもね。

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最初は蒸気動力で始まった天理軽便鉄道も、昭和に入ると内燃化された
ようで、このようなガソリンカーが登場します。
片ボギー式で、ボンネット側の小さな台車動力台車なのでしょう。
折り返し運転には転車台があった方が便利だろうな。

似たようなやつ九十九里鉄道(千葉)とか西大寺鉄道(岡山)でも
見たかな。何れも資料だけですが。

コレに関しては細密な模型が展示されてますので、続けて見てみましょう

→次回に続く



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No.3959 鉄道廃線跡を探る