新・駅長日誌

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長浜鉄道スクエア ④

2017/02/24(Fri)

貨物鉄道博物館がある丹生川駅の近くにも、この町の古い建物
残ってるという事を、庭箱鉄道のバスの車内で教えて頂きました。

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駅から近かったので、電車の待ち時間に行ってみましたクラ駅長です。

ココは現在はいなべ市ですが、元は丹生川村という行政区画だった所
なので、ソノ役場の跡門だけ残ってるのと、すぐ隣にある郵便局
古い建物…。恐らくどちらも昭和初期の感じでしょう。

郵便局は、建物に設けられた公衆電話のスペースに時代を感じますね。
右に見える白い壁の建物現代の郵便局の筈なんですが…コレも何処
かへ
移転したのか、看板の類を外された廃墟となっていました。

さて長浜鉄道スクエアです。続いては長浜鉄道文化館で、当地の鉄道の
歴史を更に詳しく見て行く事にしましょう。

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先述の通り、ココに鉄道が開通したのは明治15年の事。新橋~横浜
日本初の鉄道から10年後の事です。…東海道線はまだ存在しません

で、長浜から大津までは鉄道連絡船が琵琶湖を走り、敦賀方面からの
貨物や旅客を運んでおりました。コレが「日本初の鉄道連絡船」でも
あったワケで、長浜駅琵琶湖の湖岸に近い所に造られたんです。

…こんなに港に近かったのか。模型現在の長浜市の地図を比べると、
湖岸は数百メートル遠くなってますね。近年になって埋め立てられた
のでしょう。

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その後、北陸本線交流電化され、当時世界最長だった北陸トンネル
完成。大阪方面から電車が走るようになって現在に至ると…。

ぇ、端折りすぎ?…右の「新装の電車特急」の記事をよく見ると、湖西線
まだ存在しないんですね。全てが米原経由の時代でした。

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米原の駅弁の老舗井筒屋の駅弁に関する展示もありましたよ。
元は長浜駅前の旅館だった井筒屋ですが、東海道線が開通した時に
米原駅駅弁の販売を始め、現在でも豊富な商品で営業しています。

掛け紙や土瓶個人のコレクションが寄贈されたモノなんだそうな。
ピカチュウ所蔵品50年後ぐらいには博物館に飾られるかも知れんよ。

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顔出し看板最近撮ってないなあ。ってか車両の形式が謎です。
制服と制帽子供さん用しかありませんでした。

ココまでが1階の展示品ですが、2階にはジオラマスペースがあるという
事で、続いてはそっちの方へと移動します。

→次回に続く



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No.3652 鉄道保存施設を探る