愛岐トンネルツアー ①
2015/05/08(Fri)
昨日は折角、名古屋から朝帰りして仕事に出たものの、連休明けの反動
なのか、碌な売上になりませんでしたクラ駅長です。
…こんなのだったら、あと1日休んでノンビリ帰れば良かったな。
さて、ハナシは十五夜最終日(5月6日)の日中に戻りますが、社長を
含めて何人かの皆さんで行った愛岐トンネル見学ツアーの報告です。
私も地域的に不案内な土地だったので
簡単に場所と経緯の説明から行きます。
中央西線は定光寺と古虎渓の間で
愛知~岐阜の県境を越えますよね。
明治33年に開通したコノ区間ですが、
昭和41年になって複線電化され、同時に
線形の改良で真っ直ぐなトンネルに
付け替えられました。
…その「旧線区間」と幾つかのトンネルが、片道約1.7kmのハイキング
コースとして保存されており、毎年春と秋に限定公開されてるんですよ。
だから正しくは「愛岐トンネル群」という事になります。
私はこんな所に旧線が残ってる事も、公開イベントがあることも知りません
でしたが、流石は社長です。毎日「しなの」で行き来した区間ですもんね。
社長のブログにあるように、イベント開始初日から「行きたいねー」的な
会話が為されてまして、捕獲とは言っても「殆ど正解を教えて貰った」
のような感じで都合の付く皆さんが全員集まった、非公式の突発イベント
となりました。
という事で定光寺駅に下車。普段は無人駅
ですが、当日は安全対応のためか、駅員さんが
何人か出動してました。
公開時間の最終入場が14時まで。終ってそのまま大曽根へ行くので、
ソノ14時ギリギリに集合(するんじゃナイかなあという予想)です。
…と言うか、単に社長が朝早く起きれないという事かも知れません。
線路の下をくぐる地下道のコンクリートにある刻印は1967年、まさに
新線が開通した翌年の建築だという事が分かります。
改札(単にカードリーダーがあるだけ)を出ると、目前に大きな川が
横たわってました。まだ上流の方の庄内川ですね。
私より更に先着していた松井さんと合流。現場に出ている保存会の方から
先に説明を聞いておきましょう。
…コノ方、名札に「駅下」とあるので「駅下さん」というお名前かと
思ったら、単に「駅の下での案内を担当する係」という事だそうな。
私も社長も当日まで勘違いしてた
のですが、定光寺から古虎渓まで
片道で歩いて抜けれるのでは
なく、ココから県境付近までの
1.7kmを折り返して帰ってくる
コースになるようです。
地図に描くとこんな感じ(左)?
そして更に地図を拡大すると(右)、
赤丸で囲んだ部分のようなモノ
が描かれています。コレが恐らく、
トンネルのポータル…出入口
部分のレンガなどの壁でしょう。
…更に先も整備して、最終的に岐阜県
側まで抜けれるようにしたいというのが、
保存会の皆さんの悲願でもあるようです。
という事で、社長が乗ってくる(であろう)
列車が着き、皆さんと合流出来ましたので
早速トンネル見学に向かいましょう。
…ソレにしても、歩くのに適したイイお天気
になりましたね。
「大曽根でバチ当たりな事をしたから雨」って、1日だけを見てドヤ顔で
語られても困るのです。
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
なのか、碌な売上になりませんでしたクラ駅長です。
…こんなのだったら、あと1日休んでノンビリ帰れば良かったな。
さて、ハナシは十五夜最終日(5月6日)の日中に戻りますが、社長を
含めて何人かの皆さんで行った愛岐トンネル見学ツアーの報告です。
私も地域的に不案内な土地だったので
簡単に場所と経緯の説明から行きます。
中央西線は定光寺と古虎渓の間で
愛知~岐阜の県境を越えますよね。
明治33年に開通したコノ区間ですが、
昭和41年になって複線電化され、同時に
線形の改良で真っ直ぐなトンネルに
付け替えられました。
…その「旧線区間」と幾つかのトンネルが、片道約1.7kmのハイキング
コースとして保存されており、毎年春と秋に限定公開されてるんですよ。
だから正しくは「愛岐トンネル群」という事になります。
私はこんな所に旧線が残ってる事も、公開イベントがあることも知りません
でしたが、流石は社長です。毎日「しなの」で行き来した区間ですもんね。
社長のブログにあるように、イベント開始初日から「行きたいねー」的な
会話が為されてまして、捕獲とは言っても「殆ど正解を教えて貰った」
のような感じで都合の付く皆さんが全員集まった、非公式の突発イベント
となりました。
という事で定光寺駅に下車。普段は無人駅
ですが、当日は安全対応のためか、駅員さんが
何人か出動してました。
公開時間の最終入場が14時まで。終ってそのまま大曽根へ行くので、
ソノ14時ギリギリに集合(するんじゃナイかなあという予想)です。
…と言うか、単に社長が朝早く起きれないという事かも知れません。
線路の下をくぐる地下道のコンクリートにある刻印は1967年、まさに
新線が開通した翌年の建築だという事が分かります。
改札(単にカードリーダーがあるだけ)を出ると、目前に大きな川が
横たわってました。まだ上流の方の庄内川ですね。
私より更に先着していた松井さんと合流。現場に出ている保存会の方から
先に説明を聞いておきましょう。
…コノ方、名札に「駅下」とあるので「駅下さん」というお名前かと
思ったら、単に「駅の下での案内を担当する係」という事だそうな。
私も社長も当日まで勘違いしてた
のですが、定光寺から古虎渓まで
片道で歩いて抜けれるのでは
なく、ココから県境付近までの
1.7kmを折り返して帰ってくる
コースになるようです。
地図に描くとこんな感じ(左)?
そして更に地図を拡大すると(右)、
赤丸で囲んだ部分のようなモノ
が描かれています。コレが恐らく、
トンネルのポータル…出入口
部分のレンガなどの壁でしょう。
…更に先も整備して、最終的に岐阜県
側まで抜けれるようにしたいというのが、
保存会の皆さんの悲願でもあるようです。
という事で、社長が乗ってくる(であろう)
列車が着き、皆さんと合流出来ましたので
早速トンネル見学に向かいましょう。
…ソレにしても、歩くのに適したイイお天気
になりましたね。
「大曽根でバチ当たりな事をしたから雨」って、1日だけを見てドヤ顔で
語られても困るのです。
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
No.2994 木村鉄道業務日誌