新・駅長日誌

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達したため、更新を停止致しました。

信楽高原鉄道 ③

2015/02/14(Sat)

バレンタインの木村イベントの前乗りと、「ついで乗り鉄」のため、
本日は茨城県取手市よりお送りしておりますクラ駅長です。

…泊まりが東京じゃない所がミソですね。 つくばエクスプレス筑波山の
ケーブルカー、明後日に関東鉄道真岡鉄道の予定。 新規の乗り鉄
としても久し振りの関東地方となりました。

が、またしてもケーブルカーの運休時期に当たりました!
あまりに早く計画を立てすぎるのも考えモノですが、コレが残ると面倒
事になるんですよねぇ。また機会はあると思いますが。

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…その前に信楽高原鉄道ですが、ようやく
到着した列車で貴生川へ向かっております。

ココも今時珍しくなったスタフ閉塞ですね。
でっかい輪っかの付いたケースが目を引くのと、
運転席に「受け」が設置されてるのが
興味深い所です。

…もしかしたら自動信号だったのが、事故以降
わざわざ退化させたのかも知れません。

信楽地方盆地ですから(だから冬場の寒さが
キツいのか?)、発車して暫くは田んぼの
真ん中を一直線に進みます。

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当時のJR在来線の速度と制動距離の最高が、
確か時速120kmで600m以内でしょ?

ローカル線の気動車だから時速60kmぐらい
として、同じ速度で双方向から走ってきたら
相手が時速120kmで迫ってくるのは
上記の数字と同じだから…

あってはならん事ですが、信号を冒進した列車
双方向から単線区間に突っ込んだとしても、
こんな感じの地点だったらギリギリで回避
出来るか、
被害が出ても最小限だった
んじゃナイかなあと思います。

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先述の通り、間の悪い事に事故現場急なカーブの上に、周囲が
杉木立
になってて見通しの悪い地点です。現在はココに慰霊碑
建てられていますが…

恐らく何の対処も出来ないまま正面衝突だったんでしょう。
死者42名と負傷者が約600名という結果になってしまいました。

当時は無かったモノとして、近くに新名神高速道路が通り、風景がすっかり
変わってしまいました

暫く行くと交換設備のようなモノが出てきます。コレが当時問題視された
小野谷信号場の跡地ですね。

20150214e.JPG 
ダイヤでは、JRの臨時列車信楽の定期列車
は、ココで交換する予定でした。

事故以来、信号場使われておらず避線側の
レール錆び付いたままだし、 信号機
90°横向きに曲げて「使ってないよ」という事が
強調されてます。 (以前は大きな×型の板
付いてた事もあったような…)

元々は国鉄時代からの雲井駅に交換設備があり、
移管後は廃止されたものの、陶芸祭のイベント
車の増発を見込んでわざわざ新設した
信号場
だったように記憶してますが…
何とも皮肉なハナシじゃないですか。

そして貴生川に到着する直前に渡るのが杣川(そまがわ)です。

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この橋梁が一昨年の台風流されて、復旧まで
1年以上の期間を要したんですが、キレイに
修復
されていました。

…こうして書いてると、何だか災難続きの路線ですよね。 その都度、
関係者さんや地元の努力で復活してる事が何気にスゴいですが。

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そんな感じで貴生川に到着。
JR草津線近江鉄道が乗り入れてます。 
正月以来、意外と近い訪問となりました。

 …今は橋上の駅舎ですが、昔は信楽方向に向いて右平屋の駅舎
あり、信楽線は0番線でした。 隣(草津線の上り)が3番って事は、
今は番線の振り方が逆になったようですね (国鉄は路線の方向でなく
駅長室のある本駅舎に近い方からホームの番号を振るのが通例だった) 。

20150214j.JPG 
時代の流れで、ホームにはイコカの
簡易改札機が設置され、
そのまま乗り換えも可能です。

…という事で今回は乗り鉄の報告という
より、衝突事故の考察文みたいな感じ
になりましたが、 久し振りの信楽高原線
でした。



ココから再び信楽へ折り返しますが、今日は時間も早いし車で来てます
ので、 沿線を少し走って、外からも見てみる事にしましょう

…前に木村イベントの報告(回数未定)が入るので、あと1回なのに
中途半端に飛びますけどね。



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No.2911 乗り鉄日誌>第三セクター路線