小樽…2つの記念館
2014/08/26(Tue)
今回は画像が多いので、前説ナシで参りますクラ駅長です。
札幌の地下鉄と路面電車を完乗した後は、函館本線で小樽へ。
札幌1230---小樽1309 区間快速いしかりライナー 札サウ733系×3両
広大な北海道にあっては、都市間が意外と近い方でしょうね。
電化されてるし運転間隔も頻繁だし、特に慌てなくても次々と電車が
来るイメージです。
前回(去年の社長追っかけツアー)は、
もう暗くなった状態で景色もヘッタクレ
もなく、 渡辺さんとノリさんと3人で
「どう言うキッカケで木村裕子を知った
のか思い出話大会」をやってた記憶が
ありますが、海沿いを走るので
「こんなキレイな所だったんかー」
という思いがしました。
そんな感じで小樽に到着。
最近の北海道の電車って、内地にはナイ
彫りの深い顔立ちですよね。 アイヌ民族の
イメージなんでしょうか?(たぶん違う)
「前照灯が4灯」というのは711系に始まる国鉄時代からの定番ですね。
では小樽駅からは、手宮の貨物線跡地の遊歩道を歩いて小樽市
総合博物館に向かいます。
踏切も残ってますが、もう列車は走らないので一時停止の義務は
ありません。…しかしまぁ、北海道とは言え暑い!
尚且つ結構な距離があるもんで汗だくになりました。
まあ到着。 所でココ、昔は単に「鉄道記念館」とかそんな名前じゃ
なかったですかね? 別にある「運河館」というのと併せて
今の名前になったようですが、面倒なハナシです。
北海道の鉄道というのは、まず本土と違ってアメリカの技術(本土は
イギリス)で作られたもんで、 開業当初の車両も全くイメージが違いますし、
国鉄時代から現在に至るまでも、全く異なる自然環境に対応すべく
車両なんかも独自のスタイルで発展してきた経緯がありますよね。
ソノ辺りをアタマに置きつつ見学して
行きましょう。
キハ82に付けられた「北海」の
ヘッドマーク。
国鉄当時は全ての特急(電車モノ
を除く)が函館発着でしたが、
北海は確か唯一「小樽経由」の系統
じゃなかったですかね?
芸が細かい。
一番楽しみにしてたのが、気動車をどーーんと並べたこのホーム
なんですが… 屋外展示されてるだけに傷みが激しいようで、
一つずつ塗装を直す作業が行われてるようでした。
しかしキハ56とか、現役時代には見た事なかったんですよね。
来たかったなあ。昭和の北海道。
色々ありすぎて全部やってたら
ソレだけで3日はかかりますが、
次に操縦車の「ソ80」。
社長、操縦車って分かります?
自動車で言うクレーン車の事です。
事故の復旧などに活躍するのですが、
今はもう現役では存在しないのかしら?
クレーン部分が長いので、チキ(長物の貨車)とペアで使われるのですが、
明らかに「小回りが効かない」感じだよな。
そして、恐らくココでしか見れない
現金輸送車のマニ30。
社長と初めて会った日、貴女は
グッズの売上金を入れる
容器の事を「マニ30」と
呼んでました。
…はい、覚えてます。
今はどうやってるのか知りませんが、昭和の頃は新しく作った紙幣などを
コレで遠隔地へ運んでたようで、 運行ダイヤも車両そのものも、
トップシークレットだったと聞きます。 (見かけて写真を撮ったら
フィルムを没収されると言うウワサもあったそうな。)
長時間の警備に対応すべく、車内には
座席の他に寝台もあるようです。
へぇーー、全部が荷室だと思ってたよ。
各種の郵便車が郵政省(当時)の所有だったように、マニ30は
日本銀行の所有車両だったので、 国鉄では勝手にどうする事も
出来ず殆どが役目を終えたら解体されたようです。
という事で鉄道記念館を堪能し、あと一箇所「石原裕次郎記念館」にも
行ってきました。 疲れてたのと館内が撮禁だったので画像はありませんが。
石原裕次郎…言わずと知れた昭和の大スター
ですが、愛用品の数々を高級外車から
様々な衣裳、ハワイの別荘で使ってたという
海パン一枚に至るまで、 石原プロが
「全部残してる」ってのに驚きましたわ。
社長も今持ってるサボとか貫通扉とか、衣装も
切り売りしないで全部残しておくとイイです。
社長の死後、のろが「木村裕子記念館」
を作りますので(猫殴×2)。
…客が来るかどうかは謎ですが。
という事で宿泊は琴似まで戻ります。
翌朝は函館本線を長万部方面へ向けてスタートの予定ですね。
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
札幌の地下鉄と路面電車を完乗した後は、函館本線で小樽へ。
札幌1230---小樽1309 区間快速いしかりライナー 札サウ733系×3両
広大な北海道にあっては、都市間が意外と近い方でしょうね。
電化されてるし運転間隔も頻繁だし、特に慌てなくても次々と電車が
来るイメージです。
前回(去年の社長追っかけツアー)は、
もう暗くなった状態で景色もヘッタクレ
もなく、 渡辺さんとノリさんと3人で
「どう言うキッカケで木村裕子を知った
のか思い出話大会」をやってた記憶が
ありますが、海沿いを走るので
「こんなキレイな所だったんかー」
という思いがしました。
そんな感じで小樽に到着。
最近の北海道の電車って、内地にはナイ
彫りの深い顔立ちですよね。 アイヌ民族の
イメージなんでしょうか?(たぶん違う)
「前照灯が4灯」というのは711系に始まる国鉄時代からの定番ですね。
では小樽駅からは、手宮の貨物線跡地の遊歩道を歩いて小樽市
総合博物館に向かいます。
踏切も残ってますが、もう列車は走らないので一時停止の義務は
ありません。…しかしまぁ、北海道とは言え暑い!
尚且つ結構な距離があるもんで汗だくになりました。
まあ到着。 所でココ、昔は単に「鉄道記念館」とかそんな名前じゃ
なかったですかね? 別にある「運河館」というのと併せて
今の名前になったようですが、面倒なハナシです。
北海道の鉄道というのは、まず本土と違ってアメリカの技術(本土は
イギリス)で作られたもんで、 開業当初の車両も全くイメージが違いますし、
国鉄時代から現在に至るまでも、全く異なる自然環境に対応すべく
車両なんかも独自のスタイルで発展してきた経緯がありますよね。
ソノ辺りをアタマに置きつつ見学して
行きましょう。
キハ82に付けられた「北海」の
ヘッドマーク。
国鉄当時は全ての特急(電車モノ
を除く)が函館発着でしたが、
北海は確か唯一「小樽経由」の系統
じゃなかったですかね?
芸が細かい。
一番楽しみにしてたのが、気動車をどーーんと並べたこのホーム
なんですが… 屋外展示されてるだけに傷みが激しいようで、
一つずつ塗装を直す作業が行われてるようでした。
しかしキハ56とか、現役時代には見た事なかったんですよね。
来たかったなあ。昭和の北海道。
色々ありすぎて全部やってたら
ソレだけで3日はかかりますが、
次に操縦車の「ソ80」。
社長、操縦車って分かります?
自動車で言うクレーン車の事です。
事故の復旧などに活躍するのですが、
今はもう現役では存在しないのかしら?
クレーン部分が長いので、チキ(長物の貨車)とペアで使われるのですが、
明らかに「小回りが効かない」感じだよな。
そして、恐らくココでしか見れない
現金輸送車のマニ30。
社長と初めて会った日、貴女は
グッズの売上金を入れる
容器の事を「マニ30」と
呼んでました。
…はい、覚えてます。
今はどうやってるのか知りませんが、昭和の頃は新しく作った紙幣などを
コレで遠隔地へ運んでたようで、 運行ダイヤも車両そのものも、
トップシークレットだったと聞きます。 (見かけて写真を撮ったら
フィルムを没収されると言うウワサもあったそうな。)
長時間の警備に対応すべく、車内には
座席の他に寝台もあるようです。
へぇーー、全部が荷室だと思ってたよ。
各種の郵便車が郵政省(当時)の所有だったように、マニ30は
日本銀行の所有車両だったので、 国鉄では勝手にどうする事も
出来ず殆どが役目を終えたら解体されたようです。
という事で鉄道記念館を堪能し、あと一箇所「石原裕次郎記念館」にも
行ってきました。 疲れてたのと館内が撮禁だったので画像はありませんが。
石原裕次郎…言わずと知れた昭和の大スター
ですが、愛用品の数々を高級外車から
様々な衣裳、ハワイの別荘で使ってたという
海パン一枚に至るまで、 石原プロが
「全部残してる」ってのに驚きましたわ。
社長も今持ってるサボとか貫通扉とか、衣装も
切り売りしないで全部残しておくとイイです。
社長の死後、のろが「木村裕子記念館」
を作りますので(猫殴×2)。
…客が来るかどうかは謎ですが。
という事で宿泊は琴似まで戻ります。
翌朝は函館本線を長万部方面へ向けてスタートの予定ですね。
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
No.2739 乗り鉄日誌>JR北海道