新・駅長日誌

このブログは画像容量が限界に
達したため、更新を停止致しました。

北陸本線 敦賀~今庄の旧線 ③

2017/08/20(Sun)

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先日のリアル会社の飲み会は天理市
の観光農園で行われたのですが、
集合場所の天理駅へ行ったら、丁度
こんな光景が見られました。
 
夏の甲子園って、よく知らないですが
奈良県はやっぱり天理率が高いよな。
 
 …今日が準々決勝か。でもあまり興味
はありません
クラ駅長です。

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さて北陸本線の跡地ですが、車は無駄
に
イイお天気の下を進んで行きます。

先程の樫曲隧道からすぐの所にある
のが獺河内(うそごうち)隧道です。

…コレに関しては、国道の拡幅工事で
2車線用の近代的なトンネルに改め
られてしまいましたので、鉄道時代の
原型は留めておりません。

…線路が無くなって50年以上経ってるんだから、ある程度は仕方ないか。

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その獺河内隧道から2km弱の所に、同じ獺河内という名前の集落があり、
ソノ手前に道路が不自然に広くなってる所があります。…どうやらコレが
次の見学地
である新保駅の跡地なようですね。

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添えてある説明看板によると、元は信号場だったのが駅として昇格した
ようですが、駅名の「新保」は実際は、もぅ少し離れた所にある集落から
取ったそうな(由緒のある地名らしい)。…そう言えば、さっき敦賀駅で
その行先を表示したバスを見かけましたわ。

写真に出てくる列車は旅客列車なのにD51の重連ですな。…しかも
重油タンク装備のがっつり勾配用です。難所だった事がよく分かるね。

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敷地の横に「新保駅跡」という意外と立派な記念碑も建てられています。
…背後に見える、防音壁のある高架橋は北陸自動車道ですね。
駅だった土地の一部は、北陸自動車としても再活用されてるそうな。

石碑の下部に、駅構内の配線図が示されています。
…元々が交換設備だけの信号場だった所へ、後からスイッチバックの
機能を
付け足したもんで、カナリ複雑な配線だったらしいです。

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そんな感じで新保駅の跡地を見て、更に進みます。
…見えない所にありますが、当然に現在の北陸トンネルも並行して
走ってるらしく、斜坑の入口を示す看板があったりしました。

そして近くには、建設中の北陸新幹線のトンネル工事現場もあります。
「新北陸トンネル」は、全長が約20kmになるそうで、新幹線のトンネル
は大抵が平行在来線のソレより長くなるという伝統?の通りですね。

…キツい曲線とスイッチバックで越えてた頃の旧線跡から見ると、時代の
流れってのを強く感じましたよ。



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No.3829 鉄道廃線跡を探る

北陸本線 敦賀~今庄の旧線 ②

2017/08/19(Sat)

…先日行ったカワサキワールドの展示から「こんなモノも川崎重工?」
シリーズです(とは言え1回だけですが)。

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…南満州鉄道で「あじあ号」に使用されたパシナ型機関車と「ジュラ電」
ことジュラルミン製の63型電車ですね。

南満州鉄道の理事であった島安次氏が、後に汽車会社の社長に就任
したという事で、パシナはてっきりそっちの作品だと思っておりました。

戦前の最高水準で造られた大型機関車と、戦後に戦闘機の需要が
なくなって余った材料で造られた、構造も適当な63型電車と…対局な
位置にある
のが笑えるクラ駅長です。

さて北陸本線の跡地です。現在の北陸トンネルの敦賀側の入口を見た
後、国道476号線を走って行くと、道路脇に小さなトンネルが残ってる
のが確認出来ます。

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…敦賀側から見て左の歩道に、明らかに鉄道サイズの古いトンネルが
ありますが、コレが最初の見学地である樫曲(かしまがり)隧道です。

敦賀~福井に鉄道が通ったのが明治29年の事、現在の北陸トンネル
のような長大なトンネルを造る技術が無かった当時は、旧線区間に
13箇所
のトンネルを掘り、急なカーブとスイッチバックを繰り返しつつ
峠を越える必要がありました。…ソノ時に掘られたトンネルの1つです。

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長さは87メートル。見た感じほぼ直線のようですね。
単線の鉄道サイズなので、元は敦賀側からの一方通行で、反対側は
横に造られた切り通しを走る構造だったそうな。

現在は国道が拡幅されたので、どちらも切り通し側を車が通る事になり、
樫曲隧道は歩道のトンネルとして残されています。

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やはり明治期のトンネルですから、地道にレンガを積んで造られて
います。…レンガの積み方にも色んな種類があるようで、ソレを解説
する看板が設置されておりました。

そしてやはり、貴重な文化遺産である事が認められ、他のトンネルと
一緒に2016年に文化財指定を受けたそうですよ。

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歩道のトンネルになったという事で、大きなトラックなども通らなく
なったからでしょうか、洒落たレトロ風の照明が取り付けてあります。

…しかしココ、結構な山越えのルートで、次の集落までもカナリの距離
がある
んですが、歩いて通る人ってドノ程度居るのかしら?

車は脇の国道を迂回する格好で、今庄側へ抜けました。
こんな感じで北陸本線の旧線区間の旅は続きます。適当にお楽しみに。



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No.3828 鉄道廃線跡を探る

北陸本線 敦賀~今庄の旧線 ①

2017/08/18(Fri)

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少し遅くなりましたが、カレンダーの
今月分
をアップしますクラ駅長です。

夏らしく浴衣ツーショットにしましたが、
写真で見ると私ってホントに額が後退
しましたね。

…ソレはいいが2ちゃんねるを見てると
このカレンダーとかお絵描き会の題材に
社長を使うだけで文句を言う人がいる!

ドコまで僻み根性が強いんでしょうか?困ったもんだと思います。

さて新たな報告です。前回の最後で少し触れましたが、北陸本線ですよ。

周知の通り敦賀~今庄の「山中越え」の区間は、急勾配が連続する
難所であり、開業以来ボトルネック状態だったワケですが、1962年に
北陸トンネルが開通して現在の新線が出来、スピードアップと輸送量の
増加が図られる事になりました(…トンネル火災もあったけどね)。

その後、元の北陸本線だった区間は殆どが自動車の通れる道路として
残されておりトンネルもそのまま、場所によっては駅の遺構などが保存
されてると聞きましたもんで、以前から行きたいと思ってたんです。

…最初は日帰りの予定でしたが、意外と大ネタになりそうなのと、大海
あすか駅長に頼まれて三国港まで行く事になったので一泊します。

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そんな感じで、まずはJR北陸本線の敦賀駅からスタートします。
…事前に調べた今庄まで旧線の経路は右の通り。

敦賀-深山(信)-新保-葉原(信)-杉津-山中(信)-大桐-今庄…と。

信号場多すぎでしょ!まぁソレだけ難所だったんですが。んで「○」を
付けた
のが停まって見る予定にしている地点です。…結構あるでしょ?

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では出発しましょう。敦賀駅を出たら、まずは国道476号線を走ります。
…一部の区間はコノ476号線がそのまま鉄道の旧線でもあるのですが。

新快速が敦賀まで来るようになって、交直切替のデッドセクションは
北陸トンネルの手前に移される事になりましたよね。

…まぁ今時、デッドセクションで車内灯が消える電車ってのも減りました
から、乗ってて気が付かないケースもあるでしょうが。

20170818f.JPG 20170818g.JPG

暫く行くと「北陸トンネル入口」という看板が出てきます。ソレに従って
脇道へ入ると北陸本線の踏切に出ますので、ココからトンネルの西口
が見えるようなんです。

この地点の北側の集落に「深山寺」というお寺があり、集落名もそう
なって
ますので、全く遺構はナイものの、コノ辺に深山信号場があった
ものと思われます。

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この踏切の名称が「木ノ芽踏切」。…元々の街道でココを越える峠が
「木ノ芽峠」と言い、脇を流れる小さな川が「木ノ芽川」となってます。

北陸トンネルもソレに因んで「木ノ芽トンネル」という仮称だったらしい
のですが、やはり当時としては国内最長のトンネルになるという事で、
十河信二総裁の一声でスケールを大きく「北陸トンネル」と命名された
そうな。

20170818j.JPG写真では見切れてしまいましたが、
入口左側の階段の上に1972年11月、
急行「きたぐに」
の通過時に起きた
列車火災事故の慰霊碑
があります。

…コレに関しては語ると長くなるので、
今回は割愛しましょう。

気が付いたら現地の気温は35℃!
イイ天気を通り越してカナリ暑い日に
なりましたが、続けて探って参ります。



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No.3827 鉄道廃線跡を探る