新・駅長日誌

このブログは画像容量が限界に
達したため、更新を停止致しました。

西信貴鋼索線 ①

2018/01/08(Mon)

本日は播磨下里お絵描き会前乗りとして、兵庫県播磨町よりお送り
しておりますクラ駅長です。

20180108a.JPG 20180108b.JPG

…まぁ毎度の如く、早朝奈良を出れば間に合う距離ではあるのですが、
前日が折角のお休みだったのと、前夜に行っときたいお店などもあるので
今回に限り前乗りとしました。ようやく「お出かけ解禁」だしな。

兵庫県一番小さな自治体だという播磨町ですが、こんなに立派なホテル
があるとは驚きです(猫殴)。…たまにはラクさせて下さいよ。

さて新たな報告です。
12月時点で、まだ父親が「生きてるもののヤバい」から遠出が出来ない
という状況で、近場の廃線跡として、1983年に廃止された東信貴鋼索線
奈良県側から信貴山へ登るケーブルカーを思い付いたんです。

しかしコノ寒いのに歩いて山へ登るのは面倒である。…だったら歩きを
下りに
すればイイじゃない。ならいっそ、大阪側からもう1本のケーブル
カー
信貴山に登ろう。ぁ、あの山の上の平地廃線跡じゃなかった?

…という思考での小旅行となりました。

20180108c.JPG 20180108d.JPG

そんな感じで奈良から近鉄に乗り、布施回り河内山本に到着。
ココから信貴線という短距離の支線で、大阪側のケーブルカー
西信貴鋼索線が出る信貴山口駅へ向かいます。

京阪京津線で頻繁に登場した40‰の勾配ですが、同等のソレ近鉄
の場合、こんな所にあるんですよ。大阪線青山越えや、南大阪線
穴虫峠
のような長距離の難所は概ね33.3‰までに抑えてあるんですが。

20180108e.JPG 20180108f.JPG

という事で信貴山口に到着。ココからケーブルカーに乗り換えます。
…ココもブログでは紹介した事なかった。と言うか、前回に乗ったのは
恐らく高校生の頃でしょうか。特に用事がナイと来ませんからね。

最近になって、西信貴鋼索線でも交通系のICカードが使えるように
なったようです。…しかしケーブルカーってのは結構高いでしょ。
意識しないでタッチだけしてると、残高不足になる可能性が大きいね。

20180108i.JPG 20180108h.JPG

コンコースの広くなってる部分に、お約束「車輪と分岐器の解説」
ありました。…未だに私は「フランジのない車輪落ちずに転がってる
という状況が信じられないワケなんですが。

20180108g.JPG 20180108j.JPG

そんな西信貴鋼索線昭和5年大阪方面から信貴山朝護孫子寺
への参詣輸送を目的として、さっき乗ってきた山本からの支線と、更には
ケーブルを降りた先にある山の上の平坦線とともに開通しました。

戦時中は例によって不要不急路線として休止されたものの、戦後になって
ケーブルカーのみですが復活し、現在も元気に走っております。

朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)は後述しますが、毘沙門天と寅を祀る
お寺
なので、寅年でもナイのに車体は寅だらけです。

ではそろそろ発車のようなので、乗車して待つ事にしましょう。



※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。

No.3970 乗り鉄日誌>その他の鉄道

旧逢坂山隧道 ⑤

2018/01/07(Sun)

葬式が終わって面倒な事の1つに「供物の盛り篭の分配」ってのがある
と思うのですが…今は最初の仕分け斎場の係の方がやってくれます。

20180107a.JPG 20180107b.JPG

何が面倒って「大量に余る」という事です。例によって私も持って帰る
羽目
なり、開封してみると右のような状況でしたクラ駅長です。

恐らくは賞味期限の長そう乾物類が選ばれてると思うのですが、単品
で使う
には微妙なモノばかりですよね。最初は弔電を頂いたヨシヨシ会
皆さんに配ろうかと思いましたが、みんな自炊するイメージナイ方
たちですので、ソレは改めて考えるとして…

コーヒーや紅茶類播磨下里駅に寄付します。で、残ったモノは普通に
私が日々消費するんですが、なかなか大変そうなラインナップだな。
…例えばがメインの料理」って何かあるかしら?

さて旧逢坂山隧道ですが、国道1号線から旧道らしき脇道に入りました。

20180107c.JPG 20180107d.JPG

…この時点で夕方5時前後
冬場の事であり、逢坂山東山挟まれた場所なので、日暮れは早い
ですね。カメラの露出補正何とか明るく見えてるだけの感じです。

やはり昔の街道なのか、元は旅館っぽい構えの料理屋さんが何軒か
並んでます。…うなぎ屋さんか。美味そうだけど高いだろうなと予測。

右の画像の山裾にある石碑の部分が、旧逢坂山トンネルの西口
当たるようですが…よく分からん?

20180107g.JPG 20180107h.JPG

はい、こちら側にはトンネルそのものの遺構はなく石碑だけが建て
られてる状況でした。…何故か「とんねる」が平仮名です。
ではトンネルそのものドコへ行ったのか?と言いますと…

20180107e.JPG 20180107f.JPG

1963年昭和38年名神高速道路が開通した際に、高速道路用にも
逢坂山トンネルを掘ったので、西口はソノ時に埋まってしまったそうな。

ココは府県境を越えて京都府に入ってる筈ですが、高速道路のスパン
から言うと、そろそろ大津案内を出す地点なのでしょう。出口とPA
看板が
目立ちますね。

…実際の所、奈良から滋賀方面へ行くには宇治付近から京滋バイパス
に乗るか、一般道を和束~信楽と抜ける事が多く、私はココは殆ど利用
した事がナイのですが。

20180107i.JPG 20180107j.JPG

そんな感じで、そろそろ日照時間の限界が来た所で、上手く終わる事
出来ましたので、すぐ近くにある京津線大谷駅から電車に乗って、
帰る事にしましょう。

…昔からソノ存在は知ってたものの、訪れる機会のなかった旧逢坂山
隧道でしたが、東口だけではあるけど鉄道記念物として保存されてる
というのは素晴らしい事だと思います。明治の鉄道技師たち遺徳が
偲ばれる物件ですね。あー、タイムマシンが欲しいわ。

では続けて、また思い出した故郷の廃線跡である信貴山の山上線
東側のケーブル線を探りに行ってみる事にしましょう。



※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。

No.3969 鉄道保存施設を探る

旧逢坂山隧道 ④

2018/01/06(Sat)

葬式の喪主というのは、殆ど「イベントを仕切る仕事」だという事を
理解しましたクラ駅長です。

元々が飲食店勤務なので、必要人数を数えて料理を発注する…とか
言う類の仕事には慣れております

20180106a.JPG 20180106b.JPG

なのに精進落とし料理が余るってどぅいう事よ?
ソレほど近くない親戚の人が、遠慮したのか用事があったのか、早々に
帰ったからなのですが…完璧を期したい私としては些か不満です。

余った料理誰も手を付けなかったので、持って帰りました
そしてまた内容を仕分けして、早く傷みそうなヤツから順に酒のアテ
します。御飯部分は電子レンジで温め、カレー用に使ったな。

さて逢坂山越えですが、トンネルそのもの歩く事が出来ないので、
国道1号線迂回して西側へと回ります。

20180106c.JPG 20180106d.JPG

鉄道のソレとは関係なく古代からココは京の都へ入る手前の位置として
関所が設けられた所でした。

現在の地名で言う「逢坂1丁目」の交差点は、東海道である国道1号線と、
湖西を通って若狭方面へ抜ける国道161号線分岐点に当たります。

20180106e.JPG 20180106f.JPG

並行して走る京津線と、マトメてオーバークロスする大きなアーチ橋
名神高速道路。まぁ現代ではコレが一番の輸送量なのかも知れません。

そして京津線にも逢坂山トンネルがありますが、ソノ付近はカーブ半径
カナリ小さいんですね。

…車両が16m級の小型車ですが、外側のレール車体の真ん中付近
まで
ズレると言うか模型ならイザ知らず、実物の鉄道でこんな光景は
初めて見たかも知れませんよ。

20180106g.JPG 20180106h.JPG

相変わらず京津線40‰で峠を越えます。道路逢坂山の関所跡
という付近に、石碑と案内看板がありました。

20180106i.JPG 20180106j.JPG

…やはり本格的に機能していたのは平安時代ごろまでですか。
時代劇のメインとなる江戸時代では、やはり箱根の関所の方が重要
だったのは間違いナイでしょうか。

関所の建物を模して造られた小屋っぽいモノは、公衆トイレです。
寒い中をココまで歩いてきたので有り難く使わせて頂きましたよ。

ココから道は下り坂になります。国道から反れて、旧街道っぽい狭い道
へと進んで行きました。

→次回に続く



※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。

No.3968 鉄道保存施設を探る