新・駅長日誌

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達したため、更新を停止致しました。

民宿「汽車ポッポ」 ②

2018/05/03(Thu)

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続けて甲府ネタですが、今回の乗り鉄
当日は、新宿方向の側線にEF64型が
2両
見られました。

…手前の37号機実働する唯一
0番台で、ぶどう色に塗装変更された
イベント用機関車。奥の1053号機
共に数少なくなったJR東日本の所属
車両ですね。
もしかしてカナリのレアショットですか?

そもそもジョイフルトレインは元より客車列車自体が減ってる(ほぼナイ)
状況なので、いつまで持つのか分かりませんが、いっその事「動態保存」
の扱いでも残して欲しいと思いますクラ駅長です。

さて大分県中津市民宿「汽車ポッポ」です。続けて建物正面の保存車
を見て行きましょう。

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まず耶馬渓線(大分交通)の末期の主力車両であったキハ600型
601号ですが「やまびこ」という愛称が付いています。

コレは昭和31年日本車輛の製造なんですね。
紀州鉄道で見たアレ昭和35年の新潟鐵工製。全くの兄弟車って
事もなく数年遅れの増備車両という感じでしょうか?

確かに全体的な雰囲気は似てますが、そう言われれば窓の形状とか、
細部が少しずつ違うような気がします。

紀州鉄道では後にテールライトの位置にもヘッドライトを増備した
ので顔つきが少し違う感じと言うか、折り畳み式のテールサイン
あると、何となく眠たげな表情に見えるんですが。
 
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お隣の木造客車ハニフ22と言い、コレも耶馬渓線で使われてたモノ
ですが、最初は九州鉄道…要するに九州に鉄道そのものが出来た
黎明期貴重な車両のようです。

同時期のハフ25が、現在は製造時の姿に復元されて九州鉄道記念館
にある、メインの建物に入ったすぐの所にあるチブ37なんですよ。
ハフ25(改めチブ37)も元は民宿「汽車ポッポ」の所有だったそうな。

キハ601ハニフ22は、共に車両の一部が建物内に取り込まれたような
構造になっており、車内はレストランの客室に改造されています。
…ソノ辺はまた後日ね。

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更に隣の機関車耶馬渓線の物ではなく、台湾で使われていた車両。
…各種の資料から見ると1948年のベルギー製だそうです。

来る時に見た地図によると湾糖業公司358号機」となってますが、
台湾サトウキビ砂糖生産が盛んな土地であり、ソレを運搬する
軽便鉄道を所有してた事は容易に想像が付きますね。

物資運搬使命を終えた現在でも、観光用のトロッコ列車として
残ってる所があるそうな。…国内を全部見終えたら行ってみますか?

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という事で、そろそろ館内に入ってきました。民宿とは別のレストラン
スペースですが、現在は予約営業のみという事で基本的にお客さん
居ない
状況です。

…目に付く所にあったのが、国鉄時代のモノと思しきコルトン表示板
中津駅における「特急にちりん」停車駅や時刻を表示したモノのかと。

そして建物に入り込む状態で手前にハニフ22、奥にキハ601があります。
では続いて館内の様子詳しく見ていく事にしましょう。

→次回に続く



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No.4085 鉄道保存施設を探る

民宿「汽車ポッポ」 ①

2018/05/02(Wed)

甲府駅で列車を待ってると、電光掲示板先発の段に何故かJRの
ロゴマークが表示されておりました。

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…来たのは貨物列車です。この路線系統だと篠ノ井線南松本駅
石油を扱う貨物駅だった筈なので、中央東線貨物列車(殊にタンク車)
が多いイメージですね。

岡山駅みたいに素直に「貨物列車」と表記するワケにはイカンのかな?
と思いますクラ駅長です。

さて大分県中津です。駅から歩く事30分、ようやく到着した民宿「汽車
ポッポ」
ですが、まずはお宿の基本的な所から見て行く事にしましょう。

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名前が「汽車ポッポ」だし正面に飾られている保存車両インパクトは
大きいものの、全てがソレ一辺倒という事もなく、基本的には普通の
宿泊施設のようです。
…3階建ての大きな建物が本館という事になるんでしょうか?

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民宿なので、お値段はカナリ安めの設定。見てると平日だという事も
あるのか、鉄ヲタ的な客私だけのようで、大半が長期滞在っぽい
建築関係の職業の皆さんで締められてる感じでした。

観光地でもナイ街道沿いの民宿ってのにありがちなパターンかと。

民宿レストランが併設されてますが、レストラン予約営業のみか。
社員旅行立ち寄り昼食なんかには良さそうですよ。

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車両以外にも雰囲気付けなのか、色々と保存品がありますね。

「耶馬渓線」国鉄中津駅から、景勝地である耶馬渓を経て守実温泉
という所までの約35kmを走ってた路線で、最終的には昭和50年全線
廃止された路線です。

ソコソコの距離があり。最盛期には観光客で賑わった路線でもあるので、
個性豊かな車両が多く存在したんだそうな。…現在でも廃線跡カナリ
残ってる
感じのようですが、全部見るのは大変そうです。

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耶馬渓線の末期の主力車両だったのが、このキハ600型
はい、紀州鉄道に居たアレ同型車…というか同僚だった車両です。
今回、コレを見たくてワザワザ奈良から来たという感じなんですよ。

西陽がキツくて顔の真ん前に街路樹の影が濃く出るので、実は先に
部屋でひと休み日没を待って撮影を始めております。

では続けて、車両メインで民宿の館内も紹介して参りましょう。

→次回に続く



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No.4084 鉄道保存施設を探る

旧勝沼駅を探る ④

2018/04/27(Fri)

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会社の車庫にあった、社員さんの
誰か(営業所が合併したので一時的に
知らない人も多い)の車なんですが、
細いウレタンの緩衝材が巻いてある
のは、明らかに「左右からドアをぶつけ
られるのを避けるため」でしょう。

なかなかいいアイディアだと思いました
クラ駅長です。…この手のトラブルって
意外と多いからね。

私だったら社内に駐車する時よりは、スーパーマーケットとか、町中の
店舗駐車場でやりたい所です。…距離感覚が退化した老人が多いので。

さて、間が空きましたが勝沼ぶどう郷駅に戻ってきました。
再び、スイッチバックのあった旧勝沼駅ソノ周辺を見ております。

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電気機関車が保存されている更に奥にも、ホームの跡地らしき遺構が
残っておりました。当時は列車の有効長も長かったでしょうから、こっち
側にまでホームが延びてても不思議はありません

前が広場になってるから、イベントの舞台としても使えるような意図
なのかも知れませんね。

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広場の脇から現在の本線のある高さに向けての階段があり、ソレを
登ると新旧2つのトンネル並んでる風景が出てきましたよ。

…当たり前ですが手前の、線路が切れてる方旧線でしょう。ココから
トンネル内を往復するコースが、遊歩道として整備されてるそうな。

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資料によると、このトンネルは大日影(おおひかげ)トンネルと言い、
開通は中央本線の開業と同じ明治36年

勝沼駅スイッチバックが廃止された昭和43年には、ソレまで単線
だったコノ区間も複線化され、こちらのトンネルは下り専用となります。

更に平成9年線形改良で下り線のトンネルも新しくなり(向かって
左隣のやつ)、元祖の大日影トンネル廃止されてしまいました。

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…その後暫く放置されていたのが、平成19年から遊歩道として整備され
現在は一般公開されてるんだそうな。

だからポータル上の銘板もトンネル名ではなく「遊歩道」となってます。
…ソレにしては門扉が閉まったままなんですが、何故なんですかね?

→次回に続く



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No.4079 鉄道保存施設を探る