別子銅山記念館 ②
2018/12/14(Fri)
貸切列車でさいたま新都心に停車中、
場所柄貨物列車を多く見かけたワケ
なんですが、社長が殊に反応してた
のが「タンク貨車の内容物」でした。
ガソリンなどの割とメジャーな液体は
専用列車を仕立てるから、コンテナ車
に混載するのは量的に少ないモノに
なるのでしょう。
…ホルマリンってあの死体とか病理標本の保存に使うやつですか?
私は以前、地元の道路で「10t車のタンクローリーに入った醤油」という
のを見て「こんな一気に使うケースってあるのか?」と思ったんですが
ホルマリンも然りですね。
と思って調べてみると、希釈して消毒液に用いられる事もあるそうな。
1つ賢くなりましたクラ駅長です。…しかし食事時にコレは何だかな。
さて別子銅山記念館ですが、続けて神社の境内にある保存車を見て
行きます。…敷地を囲む感じで並んでるんですよ。
別子銅山の鉱山鉄道は、山で採れる銅鉱石を新居浜港まで運ぶための
路線で、完全な鉱山鉄道だった上部鉄道と、山の麓で旅客輸送なども
行ってた下部鉄道に分かれます。
下部鉄道は昭和25年に電化され、上のような電気機関車も使われました
が、閉山に伴って昭和52年に廃止されたんだそうな。
別子銅山そのものが住友金属の経営だったので、専用鉄道もソレに
付随した会社だったのでしょう。
…廃線跡も割と残ってるらしいのですが、今日はお天気が良くナイし
時間もあまりナイので次の機会という事にしておきましょうか。
電気機関車と並べて、坑道内で使われてたような小型の車両があり
ます。…紀州鉱山のトロッコ電車に似た感じの小型機関車と、輸送車
が幾つか。無蓋貨車は鉱石を運ぶモノで、屋根がある方は人車かな。
その見た目から「かご電車」と呼ばれてたそうな。
神社の境内に隣接して、別子銅山記念館があります。…丘の斜面を
半地下にしたような建物ですが、ココには銅山の歴史や技術を紹介
した展示があり、折角なので見ていく事にしました。
…中が撮影禁止だったので画像はありませんが、長期に渡って採掘
が行われてただけに、カナリ大規模な事業だった事が伺えましたよ。
ココが「真面目に勉強する場」だとすれば、続いてのマイントピア別子
は子供さんでも別子銅山の歴史を楽しく遊びながら学べる場。
…という事になるのかな?すぐ近くなので続けて行ってみましょう。
※→次回に続く
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No.4310 鉄道保存施設を探る