紀伊中ノ島駅を探る ①
2018/07/14(Sat)
…帰ってきましたクラ駅長です。
2日目は元々の予定を繰り下げて、大久野島というへ行きました。
…呉線が壊滅的なので、色々と考えて港まで路線バスになりましたが。
ココは戦時中、日本軍が毒ガス兵器の研究をやってたとかで、地図から
も消されてた島なのですが、現在はリゾート地となっています。
そしてココでヨシヨシ出来るのは猫ではなくウサギ。…今回は特例として
「うさヨシヨシ」を体験しようという趣旨なのです。詳細は後日ね。
さて新たな報告ですが、コレも大雨の被害を受けて色々と予定を組み
直し、和歌山の駅ノートを3駅と廃線跡を1つ見てきたんです。
…先にソノ廃線跡から行きますが、2回で収まる小規模なモノです。
阪和線で大阪方面から和歌山へ行くと
和歌山に着く1つ前の駅が紀伊中ノ島駅
なのですが、ココなんですよ。
…そもそもの発端は大海駅長のHPを
見てて、ココにも駅ノートがあるという報告
になってたから気に留めたワケなんですが、
駅ノートそのものは短期間で無くなって
しまったようで、以後の情報は皆無なのが
現状です。
で、同駅の事を色々と調べるに、面白い形と
興味深い過去がある事が分かりました。
現在は阪和線の駅の1つという事で、築堤の上に上下線の対向式
ホームが1組ある線形です。大阪側から行くと末端区間になるので、
紀州路快速も殆どの列車が停まる駅ですね。
屋根を支える鉄骨が廃レールなのですが、梁に当たる部分がウネウネ
と曲がっており、他では見た事ナイ独特の雰囲気になってますな。
…この無駄に優雅なデザインは誰が考えたんでしょうね?
ホームに対して斜めに配置された階段を降りると、降り切ったすぐ
の所に自動改札機がありました。…駅舎はまだ先のようですが、何で
こんな狭い所に作ったんでしょう?
振り返ると、上下線の各ホームへ向かう階段が、コレまたギリギリの
感じで角度を付けて隣接しています。…エレベーターやエスカレーター
はナイようでした。基本的に設置そのものが難しそうな構造です。
で改札を出ると右の方向が駅舎なのですが、左にも何やら駅のホーム
のような構造物が見えますね。…コレが今回の目的物なのです。
…タネ明かしをすると、昔はココにも線路があったんです。
阪和線は元々阪和鉄道という私鉄だったのですが、国鉄の和歌山線
と交差するココに駅があったら便利だろうという事で、双方の会社が
歩み寄り、元は相互間の乗り換えのために、このような駅構造に
なったんだそうですよ。
だから駅舎は国鉄、現在の阪和線ホームは阪和鉄道が作ったという、
複雑な歴史の結果、コノような変わった駅になったという事ですね。
昔は現在の和歌山駅は「東和歌山」という名前であり、和歌山線の
列車はココへは向かわず、東西方向に直進して和歌山市を発着する
方が多かったんだそうな。
ソレが次第に、大阪からのアクセスが良い東和歌山の方が重要に
なってきて、和歌山線もそっち側から発着するようになると、こっちは
貨物線に格下げされてしまい、昭和47年頃に廃止されたんだそうな。
…同年は私が生まれた年なので、リアルタイムでは知らないのですが、
そう言えば古い地図だと、東西方向に細い線が描かれてたような気が
しますわ。
そんな感じで、旧和歌山線という事になるのか?…の紀伊中ノ島駅の
跡地を、続けて見て行く事にしましょう。
※→次回に続く
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
2日目は元々の予定を繰り下げて、大久野島というへ行きました。
…呉線が壊滅的なので、色々と考えて港まで路線バスになりましたが。
ココは戦時中、日本軍が毒ガス兵器の研究をやってたとかで、地図から
も消されてた島なのですが、現在はリゾート地となっています。
そしてココでヨシヨシ出来るのは猫ではなくウサギ。…今回は特例として
「うさヨシヨシ」を体験しようという趣旨なのです。詳細は後日ね。
さて新たな報告ですが、コレも大雨の被害を受けて色々と予定を組み
直し、和歌山の駅ノートを3駅と廃線跡を1つ見てきたんです。
…先にソノ廃線跡から行きますが、2回で収まる小規模なモノです。
阪和線で大阪方面から和歌山へ行くと
和歌山に着く1つ前の駅が紀伊中ノ島駅
なのですが、ココなんですよ。
…そもそもの発端は大海駅長のHPを
見てて、ココにも駅ノートがあるという報告
になってたから気に留めたワケなんですが、
駅ノートそのものは短期間で無くなって
しまったようで、以後の情報は皆無なのが
現状です。
で、同駅の事を色々と調べるに、面白い形と
興味深い過去がある事が分かりました。
現在は阪和線の駅の1つという事で、築堤の上に上下線の対向式
ホームが1組ある線形です。大阪側から行くと末端区間になるので、
紀州路快速も殆どの列車が停まる駅ですね。
屋根を支える鉄骨が廃レールなのですが、梁に当たる部分がウネウネ
と曲がっており、他では見た事ナイ独特の雰囲気になってますな。
…この無駄に優雅なデザインは誰が考えたんでしょうね?
ホームに対して斜めに配置された階段を降りると、降り切ったすぐ
の所に自動改札機がありました。…駅舎はまだ先のようですが、何で
こんな狭い所に作ったんでしょう?
振り返ると、上下線の各ホームへ向かう階段が、コレまたギリギリの
感じで角度を付けて隣接しています。…エレベーターやエスカレーター
はナイようでした。基本的に設置そのものが難しそうな構造です。
で改札を出ると右の方向が駅舎なのですが、左にも何やら駅のホーム
のような構造物が見えますね。…コレが今回の目的物なのです。
…タネ明かしをすると、昔はココにも線路があったんです。
阪和線は元々阪和鉄道という私鉄だったのですが、国鉄の和歌山線
と交差するココに駅があったら便利だろうという事で、双方の会社が
歩み寄り、元は相互間の乗り換えのために、このような駅構造に
なったんだそうですよ。
だから駅舎は国鉄、現在の阪和線ホームは阪和鉄道が作ったという、
複雑な歴史の結果、コノような変わった駅になったという事ですね。
昔は現在の和歌山駅は「東和歌山」という名前であり、和歌山線の
列車はココへは向かわず、東西方向に直進して和歌山市を発着する
方が多かったんだそうな。
ソレが次第に、大阪からのアクセスが良い東和歌山の方が重要に
なってきて、和歌山線もそっち側から発着するようになると、こっちは
貨物線に格下げされてしまい、昭和47年頃に廃止されたんだそうな。
…同年は私が生まれた年なので、リアルタイムでは知らないのですが、
そう言えば古い地図だと、東西方向に細い線が描かれてたような気が
しますわ。
そんな感じで、旧和歌山線という事になるのか?…の紀伊中ノ島駅の
跡地を、続けて見て行く事にしましょう。
※→次回に続く
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
No.4157 鉄道廃線跡を探る