おまけ…トロッコ保津峡駅
2018/06/25(Mon)
愛宕山鉄道の初回に書いたように、今回の京都の取材は朝の5時出発
という、無駄に早起きなスケジュールで行いました。
早朝の方が道路が空いてるし、当日は曇りだったから光線具合が一定
してて、順番を入れ替えても分からない。…というメリットもあります。
なのでタネ明かしをすると…
・嵐山駅~トンネル~清滝駅とケーブル駅跡…6時~7時。
・幽霊マンション…7時半ぐらい。
・トロッコ保津峡駅(今日の分)…8時~9時。
・嵯峨嵐山駅で指定券の10時打ち…10時。
・鳥居本の街並み資料館…10時半~11時(10時から開館なので)。
…という順番で回りましたクラ駅長です。
だから今日の分は、おまけというより「ヒマ潰し」なんですが、嵯峨野
観光鉄道のトロッコ保津峡駅ですよ。木村イベントでも訪れた所なので
初めてではナイのですが、外から来たのは久し振りでした。
鳥居本近くの分岐点を、左の方へ行くと、保津峡の渓谷に沿った山道
に入ります。
…このトンネルと赤い欄干の橋は、2時間ドラマの「保津峡で死体が
見つかった」ようなシーンで、よくパトカーが走ってくる所ですね。
更に進むとトロッコ保津峡駅に入る脇道に至ります。
…私は狭くて曲がった道が続く場合、カーブミラー越しの対向車に視認
して貰いやすくするため、昼間でも点灯ハイビームで走るんです。
ココからトロッコ保津峡駅へは、同川に掛かる吊橋を渡って行く事に
なります。…周知の通り、ココが元は国鉄山陰本線の旧線だった頃は
「保津峡駅」を名乗ってた駅なのですが。
坂道を降りて吊橋に向かうと、観光売店(閉店中)の前を通る事になり、
強制的にテントの下を通るんですね。…商売としては上手い構造です。
しかしココ、国鉄時代も現在も、一番近い集落までは1km以上離れて
おり、しかも山道でしょ。…ちょっとした秘境駅なワケで、観光客でナイ
一般の利用者って、ドノぐらい居たのやら?
では吊橋を渡って駅に向かいますが、私の記憶にあるのが、Twitter
でも述べたアレなんです。
…古谷一行氏が主演するドラマ版の「金田一耕助シリーズ」で、
主人公の同探偵が、調査のために田舎の村へ行くようなシーン…
ココで列車を降りて吊橋を渡る場面が、複数回出て来たように
覚えてるんです。
昭和の末期なら、まだ山陰本線には旧型客車の列車が残ってたし、
京都の撮影所(確か松竹)からも近いので撮りやすかったんでしょう。
…それを色んな人に訊くんですが、何で誰も覚えてナイのか?若い人
は当然としても、同世代や年上…石崎相談役も知らなかったのよね。
私の嗜好がズレてるからなんでしょうが、些か納得が行きません。
では駅舎で記念写真。…現在は観光トロッコが走る路線なので、始発
は9時台であり、この時間帯では「まだ来ない」状況です。
…列車も撮りたかったような、しかしどうせ外国人で溢れ返ってて
ウルサいだけだろうから、静かで得したような…複雑な気分でした。
映像ネタとしてもぅ1つ、映画版の「蒲田行進曲」はどぅでしょう?
…ヤス(平田満氏)が故郷の九州へ帰ってくるシーンがココでした。
どぅ言う理由か忘れましたが、大勢の地元民に加えてブラスバンドや
バトントワラーまで出てて大歓迎されるんです。ぇ、覚えてナイ?
国鉄当時だと気動車の普通列車はキハ47。…山陰にも九州にも存在
したし 全国的に朱色1号の一色塗りだから、誤魔化しは利きますね。
…という事で、相変わらず人とズレた視点で見てきたトロッコ保津峡駅
を以て、京都の報告を終わります。
では次回から、いよいよ駅ノートデビューのお話に行きますよ。
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
という、無駄に早起きなスケジュールで行いました。
早朝の方が道路が空いてるし、当日は曇りだったから光線具合が一定
してて、順番を入れ替えても分からない。…というメリットもあります。
なのでタネ明かしをすると…
・嵐山駅~トンネル~清滝駅とケーブル駅跡…6時~7時。
・幽霊マンション…7時半ぐらい。
・トロッコ保津峡駅(今日の分)…8時~9時。
・嵯峨嵐山駅で指定券の10時打ち…10時。
・鳥居本の街並み資料館…10時半~11時(10時から開館なので)。
…という順番で回りましたクラ駅長です。
だから今日の分は、おまけというより「ヒマ潰し」なんですが、嵯峨野
観光鉄道のトロッコ保津峡駅ですよ。木村イベントでも訪れた所なので
初めてではナイのですが、外から来たのは久し振りでした。
鳥居本近くの分岐点を、左の方へ行くと、保津峡の渓谷に沿った山道
に入ります。
…このトンネルと赤い欄干の橋は、2時間ドラマの「保津峡で死体が
見つかった」ようなシーンで、よくパトカーが走ってくる所ですね。
更に進むとトロッコ保津峡駅に入る脇道に至ります。
…私は狭くて曲がった道が続く場合、カーブミラー越しの対向車に視認
して貰いやすくするため、昼間でも点灯ハイビームで走るんです。
ココからトロッコ保津峡駅へは、同川に掛かる吊橋を渡って行く事に
なります。…周知の通り、ココが元は国鉄山陰本線の旧線だった頃は
「保津峡駅」を名乗ってた駅なのですが。
坂道を降りて吊橋に向かうと、観光売店(閉店中)の前を通る事になり、
強制的にテントの下を通るんですね。…商売としては上手い構造です。
しかしココ、国鉄時代も現在も、一番近い集落までは1km以上離れて
おり、しかも山道でしょ。…ちょっとした秘境駅なワケで、観光客でナイ
一般の利用者って、ドノぐらい居たのやら?
では吊橋を渡って駅に向かいますが、私の記憶にあるのが、Twitter
でも述べたアレなんです。
…古谷一行氏が主演するドラマ版の「金田一耕助シリーズ」で、
主人公の同探偵が、調査のために田舎の村へ行くようなシーン…
ココで列車を降りて吊橋を渡る場面が、複数回出て来たように
覚えてるんです。
昭和の末期なら、まだ山陰本線には旧型客車の列車が残ってたし、
京都の撮影所(確か松竹)からも近いので撮りやすかったんでしょう。
…それを色んな人に訊くんですが、何で誰も覚えてナイのか?若い人
は当然としても、同世代や年上…石崎相談役も知らなかったのよね。
私の嗜好がズレてるからなんでしょうが、些か納得が行きません。
では駅舎で記念写真。…現在は観光トロッコが走る路線なので、始発
は9時台であり、この時間帯では「まだ来ない」状況です。
…列車も撮りたかったような、しかしどうせ外国人で溢れ返ってて
ウルサいだけだろうから、静かで得したような…複雑な気分でした。
映像ネタとしてもぅ1つ、映画版の「蒲田行進曲」はどぅでしょう?
…ヤス(平田満氏)が故郷の九州へ帰ってくるシーンがココでした。
どぅ言う理由か忘れましたが、大勢の地元民に加えてブラスバンドや
バトントワラーまで出てて大歓迎されるんです。ぇ、覚えてナイ?
国鉄当時だと気動車の普通列車はキハ47。…山陰にも九州にも存在
したし 全国的に朱色1号の一色塗りだから、誤魔化しは利きますね。
…という事で、相変わらず人とズレた視点で見てきたトロッコ保津峡駅
を以て、京都の報告を終わります。
では次回から、いよいよ駅ノートデビューのお話に行きますよ。
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
No.4138 駅長が見た風景