女川町商店街復幸祭 ①
2012/03/20(Tue)
…帰って参りました。
昨日の朝7時に現地を出て今朝の7時までの24時間のうち、
恐らくは21時間ぐらいは乗りっ放し(バス・タクシーを含む)で…
史上最長の朝帰りとなったクラ駅長です。
今回は、書きたい内容も画像も、普段以上に膨大な量になるんですが、
真面目に考え、お伝えすべき事と、普段のお馬鹿な乗り鉄日誌との
ギャップの差が激しいので、時系列を無視して大事な方から参ります。
当日の朝は、三々五々に集まってきた
木村鉄道の皆さんと現地へ向かったん
ですが、当日現在でJR石巻線は
途中の渡波駅までしか復旧していません。
この区間とて前日、3/17のダイヤ改正
から復旧し、やっと走るようになったとか。
線路の状態を確かめるべく、
列車は全て徐行運転をしていました。
沿線の踏切とかでは地元の人が
「あ、電車走ってるよ!」って目で
見てるんです。コレが何とも印象的でした。普段なら当たり前の光景なのに。
しかし、その先はまだ未開通。
錆びた線路と、強引に取り付けてある
「車止め」が何とも物悲しい…。
常磐線の不通区間を訪ねた時にも
書いたんですが、線路というのは
丸1日列車が走らないと錆びるんです。
もう1年以上でしょ?そして、ただ単に
「また走ればいいじゃん」とは行かない。
全てを取り替えて整備する必要がある。
…かなりの時間とお金がかかると思われます。
そして代行バスで、会場のある女川町へ向かいます。右の画像が、
女川の一つ手前、浦宿駅ですね。延々と錆びた線路…路盤も荒れ放題。
線路の周辺にはまだ、細かいコンクリート片やら、
生活用品だっと思われるモノが散らかってます。
バスはいよいよ町の中心部へ…
1年経った今、更地ではあるものの
かなり片付いた感じの印象です。
被災当時は、ホントに全てが「瓦礫」
だった事でしょう。
…見事に何もありません。
私は住んでる所も遠いし、仕事も忙しく、
碌に勉強するヒマもなく過ごしてきました。
ただただ圧倒されるばかりです。
コレはまだ残ってるビル…。
よく見たら、緑色の面は
壁じゃなくて屋上なんですよ。
…つまりはビルが転がってるの。
津波って、途轍もないエネルギーだよな。
今回の目的地、女川駅は…
そう、プラットホームだけを残して
完全に姿を消していました。
奥には潰れた自動車がまだ残ってます。
いやもう、この状況はキツい。
初めて訪れた者が、これだけの衝撃を受けるという事は、
以前に来た事のある、社長のような乗り鉄旅行者…
そして何より普段から利用してた地元の人から見たら、どうなんだよ?
…私だったらリアルに泣いてしまわう。
ココでオノレの脳ミソを恥じる話なんですが、この現状は社長から何度も
聞かされてたにも拘わらず、ついド忘れしててね、
「荷物多いよなあ…駅にコインロッカーとかあるかな?」とか考えてて…
コインロッカーどころか、駅も、街そのものもナイじゃない。
どれだけバカなんだよ?いや…
それだけ想像し得なかった事が起こってるという言い訳にさせて下さい。
本来なら、代行バスというのは全ての停留所が駅の直近の場所に
あるもんなんですが、現場がこんな状況ですから、高台にある
女川町運動公園(今回のイベント会場)まで直行します。
運動公園の敷地内には仮設住宅もあり、付近の小学校に臨時の町役場が
設置されてるという事で、仮に町の中心地になってるようですね。
※当日の朝、仙台駅から案内して下さった歩王(あるきんぐ)さんのブログ。
今日、殆ど同じ時刻に殆ど同じ内容でアップされました。
ウチで足らない分の情報は、こちらを参照して下さい。
昨日の朝7時に現地を出て今朝の7時までの24時間のうち、
恐らくは21時間ぐらいは乗りっ放し(バス・タクシーを含む)で…
史上最長の朝帰りとなったクラ駅長です。
今回は、書きたい内容も画像も、普段以上に膨大な量になるんですが、
真面目に考え、お伝えすべき事と、普段のお馬鹿な乗り鉄日誌との
ギャップの差が激しいので、時系列を無視して大事な方から参ります。
当日の朝は、三々五々に集まってきた
木村鉄道の皆さんと現地へ向かったん
ですが、当日現在でJR石巻線は
途中の渡波駅までしか復旧していません。
この区間とて前日、3/17のダイヤ改正
から復旧し、やっと走るようになったとか。
線路の状態を確かめるべく、
列車は全て徐行運転をしていました。
沿線の踏切とかでは地元の人が
「あ、電車走ってるよ!」って目で
見てるんです。コレが何とも印象的でした。普段なら当たり前の光景なのに。
しかし、その先はまだ未開通。
錆びた線路と、強引に取り付けてある
「車止め」が何とも物悲しい…。
常磐線の不通区間を訪ねた時にも
書いたんですが、線路というのは
丸1日列車が走らないと錆びるんです。
もう1年以上でしょ?そして、ただ単に
「また走ればいいじゃん」とは行かない。
全てを取り替えて整備する必要がある。
…かなりの時間とお金がかかると思われます。
そして代行バスで、会場のある女川町へ向かいます。右の画像が、
女川の一つ手前、浦宿駅ですね。延々と錆びた線路…路盤も荒れ放題。
線路の周辺にはまだ、細かいコンクリート片やら、
生活用品だっと思われるモノが散らかってます。
バスはいよいよ町の中心部へ…
1年経った今、更地ではあるものの
かなり片付いた感じの印象です。
被災当時は、ホントに全てが「瓦礫」
だった事でしょう。
…見事に何もありません。
私は住んでる所も遠いし、仕事も忙しく、
碌に勉強するヒマもなく過ごしてきました。
ただただ圧倒されるばかりです。
コレはまだ残ってるビル…。
よく見たら、緑色の面は
壁じゃなくて屋上なんですよ。
…つまりはビルが転がってるの。
津波って、途轍もないエネルギーだよな。
今回の目的地、女川駅は…
そう、プラットホームだけを残して
完全に姿を消していました。
奥には潰れた自動車がまだ残ってます。
いやもう、この状況はキツい。
初めて訪れた者が、これだけの衝撃を受けるという事は、
以前に来た事のある、社長のような乗り鉄旅行者…
そして何より普段から利用してた地元の人から見たら、どうなんだよ?
…私だったらリアルに泣いてしまわう。
ココでオノレの脳ミソを恥じる話なんですが、この現状は社長から何度も
聞かされてたにも拘わらず、ついド忘れしててね、
「荷物多いよなあ…駅にコインロッカーとかあるかな?」とか考えてて…
コインロッカーどころか、駅も、街そのものもナイじゃない。
どれだけバカなんだよ?いや…
それだけ想像し得なかった事が起こってるという言い訳にさせて下さい。
本来なら、代行バスというのは全ての停留所が駅の直近の場所に
あるもんなんですが、現場がこんな状況ですから、高台にある
女川町運動公園(今回のイベント会場)まで直行します。
運動公園の敷地内には仮設住宅もあり、付近の小学校に臨時の町役場が
設置されてるという事で、仮に町の中心地になってるようですね。
※当日の朝、仙台駅から案内して下さった歩王(あるきんぐ)さんのブログ。
今日、殆ど同じ時刻に殆ど同じ内容でアップされました。
ウチで足らない分の情報は、こちらを参照して下さい。
No.1850 木村鉄道業務日誌