新・駅長日誌

このブログは画像容量が限界に
達したため、更新を停止致しました。

常磐線未乗区間 ④

2015/12/26(Sat)

20151226l.JPG
…休みの日に久し振りに「一人焼肉」
やろうとして、ちょっとイイ肉を買って
きたんですが、 色々と準備をしつつ
前菜で一杯やり始めてるうちに見事に
潰れてしまいましたクラ駅長です。

次の休み一週間後。流石にコレは
常温保存はダメだろうという事で、
冷蔵庫の電源復活しております
食材が無駄になるよりはマシかなあと。

さて常磐線です。
代行バス帰還困難区域を抜け、原ノ町駅に到着しました。

20151226a.JPG 20151226b.JPG

ココから再び乗り鉄なんですが、取材時現在で相馬までの約20km
時間にして17分だけが飛び地的に鉄道が復旧してるという状況です。
まだ時間の余裕がありますので、駅とソノ周辺を見てみましょう。

20151226c.JPG 20151226d.JPG

いわき方向へ向かう線路は、やはり錆びたままですね。

元々は駅弁も扱う蕎麦屋があった感じですが、コレも閉店してます。
(震災とは関係ナイかも)。…ちなみに蕎麦屋は駅前にあるお店
支店のような感じなので、改札を出れば本店は営業してます

20151226e.JPG
側線に残る651系「スーパーひたち」
間違いなく震災の時にココに居て、
帰れなくなった車両でしょう。

屋外に静態保存されてるようなもん
なので、経年劣化で傷み放題なのが
悲しいですね。
ソノ間に車両も2世代ほど交代して、
かつての仲間別の任務に就いてる
筈ですが。

ってか震災以降「ひたち」は全ていわき止まりなので、新しい車両
まだ、仙台に達してナイというのが地味に不思議です。

20151226f.JPG20151226g.JPG

方向幕の「上野」は、単に回し忘れでなく「早く線路が繋がるように」
という願いを込めて表示してあるのだと思われます。
…見てて何だか切ないモノを感じました。

ソレに比べてキレイな415系は、後に陸送で来たモノなんでしょうか?

20151226h.JPG 20151226i.JPG

という事で乗り鉄再開です。

原ノ町1202---相馬1219 普通135M 仙セン701系×2両

双方向とも線路が分断されてますので、使う車両は701系を何本か…
陸送で運んだそうな。

20151226j.JPG 20151226k.JPG

車内に広告類が全くナイのが「仮復旧」的な感じを高めてますね。

そして17分の乗車相馬に到着。
距離は短い
ですが、被災地に鉄道が帰ってきたという点から言うと、
ホントに大きな一歩なのかも知れません。

ではココから再び代行バスに乗り換え、更に北を目指します。



※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。

No.3226 乗り鉄日誌>JR東日本

常磐線未乗区間 ③

2015/12/25(Fri)

20151225k.JPG 
木村イベントが終わって、地下鉄
赤坂見附駅で気が付いた事…

ココには丸の内線銀座線が乗り入れ
てきますので、丸の内線に行けば
新幹線に乗れる東京駅、 銀座線に
乗ればLittle TGVに近い末広町に、
それぞれ直で行けるんですよね。

単なる偶然なんでしょうが、帰る人にも2次会に行く人にも便利な所
だなと思うクラ駅長です。

さて常磐線です。竜田からの代行バスで、国道6号線の帰還困難区域
を走っておりますが…

20151225a.JPG 20151225b.JPG

先述の通り国道は通行出来るものの、周辺の脇道や沿道の商店の敷地
などは全て、 バリケードで封鎖されており、集落内などへ通じる道
には警備員さんが居ます。 …コレまた大変な仕事だし、人件費
エラい事になるんだろうなと思いますが。

20151225c.JPG 20151225d.JPG

…私が前の方の席に居て、さっきから写真をと撮りまくってたからか、
ガイドさん(ってか車掌さん)が「あの辺が福島第一原発です」
というのを教えて下さいました。

もぅ難しい事は私の守備範囲外ですので多くは語りませんが、
起きてしまった事故は仕方ナイ今後の現地の復興と再発防止
そして使えないなら使えないで、よい代替案をみんなで考えていく
必要があるでしょうね。

20151225e.JPG20151225f.JPG

南側から概ね、富岡町~浪江町あたり帰還困難区域なんでしょうか?
ソレでも何とか立ち入りだけは出来るようになり、住民支援のための
バスなんかも運行されてるようです。

20151225g.JPG
…そして時々見え隠れするようになった
常磐線の線路

ココもご多分に漏れず錆びまくりです。
岩泉線や只見線
などの輸送密度の
低い
ローカル線とは違いますから、
いつかは全線復旧する事でしょうが、
立ち入り規制が解除されん事には
どうにもならないでしょう。

20151225h.JPG
原ノ町(南相馬市)に近づくにつれ、
規制は解除されてるのか車の通行量
も増えて、 普通に営業してるお店
なども多くなってきました。

しかし震災の影響が残ってる所もあり…
ココは海岸から1kmほど離れてる
ですが、ガイドさんによるとココにも
津波が来たんだそうです。
恐るべき自然の力…。

20151225i.JPG 20151225j.JPG

そんな感じで原ノ町駅に到着です。
代行バスのダイヤは本来、復興の色々に伴う渋滞を考慮した時間設定
になってるらしいのですが、 今日はソレが無かったとかで、
25分遅れの発車だったのが10分程度に短縮しての到着でした。

…いや、ホントに色々と勉強になりましたよ敢えて代行バスの時期
来て正解かも知れませんね。



※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。

No.3225 乗り鉄日誌>JR東日本

常磐線未乗区間 ②

2015/12/24(Thu)

20151224k.JPG
赤坂のクリスマスイベントでは、大分の
元NRAさん録画して松井さんが内容
調整した、福岡放送のニュース映像
(社長の完乗の日)のDVDも上映された
のですが…。

何かとバタバタしてて適当な扱いだった
事が残念でならないクラ駅長です。

…私はしっかり拝見しましたが。

年末年始の十五夜でもまた見る機会があるだろうし、福岡のハトさんも
持参して下さるでしょうから、見たい方は名古屋まで来て下さい

さて常磐線ですが…。 乗った列車が強風の影響広野運転打ち切り
になってしまいましたので、一旦ココで改札を出ました。

20151224a.JPG 20151224b.jpg

駅員さんが状況把握に追われてますが、竜田からの代行バス原ノ町
方面
へ行きたい旨を申告し、 同じ目的の方3人と代行タクシー
手配をして頂きました。

…私の他、同業者(乗り鉄)と思しき若者2人連れと、原ノ町まで行く
主婦の方です。 鉄道代行のタクシーは、私も仕事でやった事があります
が、自分が乗客になるとは思いませんでしたね。

約15分の移動なのですが、タクシーの特性として乗務員さんから
「直でハナシを聞きやすい」というのがあります。
運転手さんから周囲の状況を色々と教えて頂きました。

20151224c.JPG
コノ周辺は去年の9月になって、ようやく
立ち入り規制が解除されたのですが、
4年~5年も放置してある家というのは、
もぅマトモに住むことが出来ず、今が
建築ラッシュなんだそうです。

でタクシー会社としては、町の依頼で
コミュニティバスのような仕事も
するんだとか。…貴重なお話でした。

そんな感じで竜田駅に到着。ココからが代行バスになります。

20151224d.JPG 20151224e.JPG

…本来の発車時刻は過ぎてますが、我々のタクシーを待ってくれて
いました


ココからの代行バスは帰還困難区域を走るので、途中の駅や停留所
には停まらず原ノ町までノンストップです。 いわきからの列車の客
を拾わないと
終点までカラで走るだけなので。…という事でしょうか?

竜田0935---原ノ町1050 代行バス(※時刻表どおりの表記)

20151224f.JPG
そして代行バス25分遅れて発車。
本来はガイドさんであろう女性が、
車掌さんという事で乗務しています。

「帰還困難区域を走りますので、
窓は絶対に開けないで下さい。」

という、滅多にナイような注意事項
をアナウンスされてしまいました。

20151224g.JPG 20151224h.JPG

バスは常磐線と並行する国道6号線を北上して行きます。
最初は特に何の変哲もナイ田舎の風景だったんですが… 

20151224j.JPG 20151224i.JPG

帰還困難区域を示す立て看板や「除染の駅」などと言う、見慣れない
モノが目立ち始めます。

コノ周辺の脇道や集落は、許可を受けた住民の人除染作業に
従事する
しか立ち入れないんです。 国道は通れますが、徒歩
二輪車
など「生身」での通行が禁止されています

…ソレだけまだ放射能が多く残ってるという事でしょうね。 今回も
代行バス
というより「見学ツアー」のような気持ちで旅は続きます。



※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。

No.3224 乗り鉄日誌>JR東日本