新・駅長日誌

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達したため、更新を停止致しました。

旧北陸本線(柳ケ瀬線)を探る ②

2018/01/26(Fri)

前回のお絵描き会で、アングラーさんが差し入れに持ってきたのが
滋賀県限定ポテトチップスふなずし味」でした。

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…私もソノ存在知っており、記事の柳ケ瀬線を探った帰りにサービス
エリアなどを探したんですが、発見出来なかったんですよ。

そもそも私は本物の鮒ずしって知らないのですが、コレに関して言うと
コイケヤの「すっぱむーちょ」更に酸味をキツくした感じ?
「不味くて食べられない」というレベルのモノではありませんでした。

裏の原材料を見てみるに、確かに「鮒パウダー」ってのが入ってます。
…しかし世の中には「苦味料」なんて調味料も存在するのだな。
まだまだ知らない事が多いなと実感しましたクラ駅長です。

さてソノ柳ケ瀬線ですが、木ノ本を出て最初の駅跡地である中之郷
到着しております。

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歩道に沿って低いホームの跡が残っています。…廃止が昭和39年
いう事で、資料によると末期は短編成の気動車が僅かに走ってた程度
だそうな。電車化されて嵩上げされる事も無かったのでしょう。

レプリカの駅名票の裏に、簡単な歴史が記してあります。
出征、凱旋の人達を送り迎え(中略)涙で迎えた悲喜交々の…」
まぁコノ辺の事情はココに限った事ではなく全国的に同じでしょ。

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ホーム上公園のような感じに整備されており、もう1枚の駅名票
が放置されておりました。…現役時のモノにしては新しすぎるか?

コレにも由来が書いてありますね。「旧跡国鉄中之郷駅舎之地」
気候が良ければゆっくり読むんですが、寒いんで勘弁して下さい

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そんな感じで中之郷駅跡地を見終えまして、再び発車です。
…段々と洒落にならない感じの吹雪になってきましたが、次が線名にも
なってる柳ケ瀬駅跡地ですか。

指定されてる緯度と経度Googleマップに入れると、確かにソレらしい
地点が表示されるのですが…「名前のない場所」ってのが寂しいです。

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…はい、ココのようですね?同名のバス停がある以外、駅っぽい遺構
何もありません。というか寒いんです、助けて下さい!

先程の中之郷は、役場の近くだから余呉町の中心部だろうし、ココも
近くに集落が見えるので、全くの秘境駅という事もナイのかな?

見るモノ少なそうなので、早々にへ行ってみましょう。



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No.3988 鉄道廃線跡を探る

旧北陸本線(柳ケ瀬線)を探る ①

2018/01/25(Thu)

順番が前後したのですが、前回(1/8)お絵描き会の後、播磨町
花茶茶花というお洒落系のカフェへ連れて行って頂きました。

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やはりココもサブカル系というのか、店内にはウルトラ怪獣のソフビ人形
が沢山あったりするのですが「デカい料理が出る」というのも話のネタ
一つ
のようなんです。

右が私のオムライス。…他の皆さんはココの名物だという「夜ランチ」
だったのですが、コレが御飯1膳おかずが十数品あるような、お得では
あるのだけどバランスがカナリ悪い状況でした。

…アレはおかずをアテに酒を飲んで最後に御飯と味噌汁で締める
のが正解なのではナイか?と思っておりますクラ駅長です。

さて間が空きましたが木之本に戻ります。ココから旧北陸本線柳ケ瀬線
廃線跡を巡る旅に出発です。

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木ノ本駅南側の踏切で北陸本線を渡り、すぐの交差点から国道365号線
に入ります。

…この道を真っ直ぐ行くと、現在の北陸本線に近い内陸部の山間
抜けて福井県の今庄方向へ抜けるらしいのですが、冬場エラく雪深い
のでしょう。頻繁に通行止めになるような旨の看板が出ておりました。

雪国らしく道路脇に散水設備があり、水が噴き出してるのはイイとして
カナリ高く飛ぶもんなんですね。
フロントガラスを直撃する勢いなので慣れてナイとびっくりしますよ

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暫く並行していた北陸本線は、途中から左へ反れて行きます。
現在の線路余呉湖の北東側を通って近江塩津へ抜けますが、旧線
更に北へ直進する格好になるんですね。

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 更に行くと長浜市余呉支所という公共施設が出てきます。
…現在は合併長浜市に含まれるものの、コノ辺は元は余呉町だった、
ここはソノ当時に町役場だった所。という感じですかね。

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この付近が、柳ケ瀬線木ノ本の次に当たる中之郷駅跡地だそうで、
低いホーム跡レプリカの駅名票が残っておりました。

では、まずココから探っていく事にしましょう。



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No.3987 鉄道廃線跡を探る

東信貴鋼索線 ⑥

2018/01/21(Sun)

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このブログをアップすると、連動してるTwitter
にも報告が上がるようになってるのですが、
Twitterってのは記述の全部が漢字だと
「中国語だ」と認識する仕組みなんでしょうか?

…そして翻訳ソフト勝手に仕事をするものの
結局は訳せるワケがないので「Could not
translaet…」とか言ってくるワケでして…

カラオケとかでよくある「知らんのやったら
歌うなー!」と似たようなもんだと思いました
クラ駅長です。

さて東信貴鋼索線ですが、山頂駅舎跡から歩く事30分で、ケーブルカー
始発駅だった信貴山下駅に到着しました。

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本体は生駒王寺を結ぶ近鉄生駒線の駅です。昔はホントにローカル線
でしか無かったのに、沿線の宅地開発が進んで、「どっちへ出ても大阪
行き易い
」感じの通勤路線に変わってしまいましたね。…しかし一部区間
単線のままです。

周辺は信貴ケ丘という住宅地になってます。…地図で見ると平面ですが
実際はカナリの凹凸と高低差がある土地ですよ。

そして地図の一番左端の道路が、ケーブルカー廃線跡に当たります。

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帰りの電車待ち方々、駅に入って色々と観察してみる事にします。

…読みは「しぎさんした」微かな記憶では、ケーブルカーは鉄道線
対して垂直
に配置されてましたので、点字ブロックがある位置の延長上
ホームがあった感じになりますか。

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ケーブルカーは無くなっても、奈良県
から信貴山への登山口である事に
変りはナイので「ようこそ信貴山へ」
の文字があります。

…本数は少ないですがバスがあるのと、
バス道路ハイキングコースを足して
直線距離
にすれば2km程度なので、
最初から歩く気なら充分に歩ける感じ
でしょうか?

…そして常駐はありませんが、呼べばタクシーも来る環境でしょう。

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やはりココにもモニュメント的に、ケーブルカーの車輪と制御器などが
残されています。

…開通は1922年日本で3番目に古いケーブルカーだったようですね。
つまりは大阪側西信貴鋼索線より古いって事で、最初は信貴山への
参詣客「こっち回り」で行ってたという事なんですね。

そしてカナリ色褪せてるものの、当時の写真が残ってました。…モール
などで飾られてるので「さよなら運転」の時だと思われます。

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ケーブルカーってのは、山をかき分けるように登っていく路線が多い
のですが、この写真は平行する道路から撮ってますよね。

改めて、下って来た廃線跡の道路を見直してみるに、2車線の広いやつ
の隣に、生垣で仕切った狭い道路が平行しています。…コレが元々の
住宅地の端っこだったワケだな。

ぃゃ、遠足で乗った時は1両に1学年全部…120人ぐらいで乗ったから
通勤電車並みの混み方で、外なんか見えなかったんです。

そんな感じで、子供の頃に乗った辛うじての記憶があり路線、尚且つ
普段は断片的に近くを通るだけで、総合的に意識した事のなかった
東信貴
鋼索線ですが、色々と再確認出来て面白い旅でした。

…あー、そろそろもっと遠くへ行きたいな。



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No.3983 鉄道廃線跡を探る